「ドラマチック」「ドリーム」「チーム」

東京女子プロレスに引き続き、プロレス団体DDTの3月20日両国国技館大会について観戦記を書いていきます。今回DDTは25周年記念大会をしてのビッグイベントとして大会開催決定以来、様々なPRを重ねて当日を迎える事となりました。プロレスラーLiLiCoさんの引退マッチが組まれ、御主人の小田井さん含めて純烈のメンバーも参戦が発表された事もあり、いわゆるプロレスファンのみならず、広く発信され期待感高まる中で迎えた「両国」でした。

唯一無二の独自路線「文化系プロレス」
プロレスといえば、力道山ジャイアント馬場アントニオ猪木といったストロングスタイルの系譜を持つ団体が主流とされる中で、インディーズ団体がその時々で光を浴びることもありました。私が憧れたユニバーサルプロレスや、大仁田さんが電流爆破マッチでファンを熱狂させたFMW、ご当地で根強く存在感を高めていったみちのくプロレス、大阪プロレスをはじめ、今では枚挙に暇がない程の数の団体が活動を展開しています。

メジャー団体、インディー団体が懸命に努力をしてそれぞれが現代に繋げてきた中で、この馬場や猪木のDNAを持たないDDTという団体は自らを「文化系プロレス」と標榜し、来た観客を必ず喜ばせています。その喜ばせ方も、様々なエッセンスを散りばめている事も特筆すべき点。逆を言えば、馬場や猪木は知らないけれどDDTは知っているというプロレスファンのブルーオーシャンを獲得していった戦略に、私は最大の興味を持っています。どの団体と比較しても正にオンリーワンの活動で25周年を迎えたのは言うまでもありません。

私がそのDDTの高木三四郎社長にお会いしたのは数年前で総合格闘家に紹介をして頂きました。その後コロナ禍においてはオンライン配信メインに団体が動き出した中で、何か面白いことをやってみたいという雑談の中で話題となり、私が地元墨田区でと口にしたことがきっかけで2020年12月の東京スカイツリーにおける電流爆破マッチが実現したのでありました。私が「東京スカイツリー」さんに最初に話したときは「!?」という感じでしたが、そこから工夫を重ねて実際に「大仁田厚vsクロちゃん」という視点から注目を集めて試合も盛り上がりましたが、私はこの試合の開会宣言を務めたりもしました。

2020年12月23日のスカイツリー

不可能な事はない・ワクワクドキドキ
19日の東京女子プロレス考の中でも触れましたが、「不可能を可能にする」が私のモットーで、この高木三四郎社長のプロモーター力は正にこれを地でいっている感じがしたので
「ワクワク・ドキドキ」の共感がそこにあったのでした。そういう意味においては25周年の歴史において、私と高木社長の付き合いはわずか数年ですが、私がDDTを見始めたのは約20年前のことです。

きっかけは大学の先輩である団体のKUDO選手との出会いがあり、この頃からDDTに注目することにしたのです。当時のDDTはプロレスファンでもあまり関心を持つことはなかったのではないかと思います。私が在籍していたテレビ朝日は新日本プロレスと密接な会社ですから、周りの同僚にDDTについて話しても「ふ~ん」で終わってしまうレベルでした、

今では「WRESTLE UNIVERSAL」という配信サービスやABEMA TVでいつでもどこでも試合を見たり情報を得ることができます。2000年代初めの頃に比べれば本当にいい時代になったなと実感しています。

配信サービス「WRESTLE UNIVERSE」の一コマ

平成のプロレスといえば「全日本プロレス」「新日本プロレス」という二者択一な時代から地道にファンを獲得していって、プロレス戦国時代を生き抜いてきたDDTのエッセンスには、政治家である私に留まらずより多くの人々の生き方にヒントがあるのではないかと思うのです。その「凄さ」は紹介していたらいくら書いてもエンドレスになってしまうので、今日は触りの紹介ブログになりました。

25年継続の秘訣、正にDDT
この国技館大会では「UNIVERSAL選手権」のベルトプレゼンターを務めさせて頂きましたが、高木社長には私のセミナーにも出席して頂き、参加者の方々には地元両国の大会を盛り上げようと呼びかけてきたものです。直前告知では彰人選手にFMラジオにも出て頂きました。

やはり何と言っても「ファンを大切に」「ファンが喜ぶことを」を色々な切り口で打ち出し続けたのが「25年の力」であり、これはまだまだ大きくなると思います。「名は体を表す」と言われますが正に「DDT」だと言えます。

両国大会を終えて

DDTは「ドラマチック」「ドリーム」「チーム」を表しており、それを本当にやり続けた25年。DDTと共にいると不可能が可能になっていくのです、不思議な事に本当なのです。私にとってDDTの存在は、ある種のゲン担ぎにもなっています。夢や希望が見えにくくなっている今こそ、私は高木社長とこの日本を明るくしていきたいと考えています。

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