モノのインターネット化と共存共栄の社会をどう探っていくか?

おはようございます。

昨日は、モノのインターネット化についてディスカッションを行いました。
これは何ぞや?という話ですが、英語表記ではIoTとなり雑誌等で見かけた事も少なくないかと思います。

そもそも、昨日の文化放送「くにまるジャパン」で社会学者の河合薫さんがサルとヒトの差について語られているのを聞いていて考える事がありました。文明が進化することにより、本来は直に接するコミュニケーションが不必要になり本来の動物の本能のようなものがなくなっていくという事でした。(ざっくりですが)これは、若者の男子が性に興味が無くなってきた背景には文明の進歩があるのではというのが河合さんの問題提起だったわけです。

そんな話を聞いた後に出てきたのが、IoTについてです。
例えば、食事制限などもみんなコンピュータに決めて貰うような時代が間近に迫って、果たしてこれで良いのかという議論でした。ビッグデータも流行りですが、これが全てでないわけです。よく異能と呼ばれる人物が歴史に名を残したり、文献を残したりしています。ところが、コンピュータによる統計的手法ですと、異能は弾かれてしまうのではないかと思うんですね。

IoTの流れで、人がモノを考える手間が無くなるので、個性は無くなってしまうのでないだろうか。これを私は恐れるわけです。

そんなこんなで、夜は囲碁の名人の話になりました。
ある名人は健康診断を受けないと言います。100手先を読まねばならない私達は健康管理も自分で先読みしながら出来るんだという話なんですが、実は将棋もオセロも人間はコンピュータに負けました。未だ、コンピュータが勝てないのは囲碁なんです。

囲碁を研究し、IoT社会の未来を探る事は次世代の政治家にとって必要な事だと痛感しました。
とりとめないのですが、各論は別の場で。

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