訃報:小野清子先生。私にとって20年大会の原点。

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・40歳)です。

【訃報】
1964年東京オリンピックの体操・銅メダリストで、国家公安委員長などを務めた小野清子元参議院議員が13日に亡くなられた事を自民党が18日に発表されました。85歳でした。86年の参院選に自民党から出馬してメダリスト初の国会議員となり、07年の政界引退まで内閣府特命担当大臣などを歴任。後年はスポーツ振興センター理事長として、スポーツ行政に尽力されました。まずもって、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

20年大会の原点だった
実は、私にとって2020年東京オリンピックの原点は小野清子さんでした。というのも、そもそも東京が手を挙げていた2016年大会の開催地決定日の事です。IOC総会はデンマークのコペンハーゲンで開かれていました。立候補していたシカゴの演説にはオバマ大統領が登場し、東京は鳩山総理が登壇もありました。2009年10月2日。私のラグビーの師である河野一郎さんが招致委員会の事務総長で、自分自身は当時テレビ朝日のアナウンサーでした。

この日、テレビ朝日では「オリンピック決定特番」が組まれていて私は東京都庁内の都民ホールから中継するリポート担当でした。しかしながら、東京は最終選考に残らなかったのです。最少票数落選の規定で1回目ではシカゴが、2回目では東京が落ちてしまったのでした。そもそも特番は歴史的瞬間をお伝えするものであり、特番時間開始前に東京落選が決まってしまうという最悪の展開でした。この時、TV朝日本社のデスクと連絡を取り合うと、とにかく最新情報を現場で集めるように指示が出たのです。

小野清子さんの一言から
と言っても私がいるのはIOC総会が開かれているコペンハーゲンではなくて東京の会場。あたりを見回したら、64年東京オリンピック体操金メダリストの早田卓次先生がおられました。私からすれば学生時代にお世話になった先生です。とりあえず、早田先生と話していたら、小野清子さんがやってきたのです。事前に「東京開催濃厚」という情報も出回っていただけに落胆が大きかった会場内。小野さんと「残念でした」「悔しいです」なんて話をしていて「次はどうしますかね?」と私が聞いたら「石原さん(当時・都知事)と事前に話していたけど、今回負けても次も頑張ると言っていた。」という話がありました。それで、私は直ぐに特番の中継で小野清子元国家公安委員長の話として次回(2020年開催)にも挑戦する石原知事の意向という話を全国にお伝えしたのでした。
開催地決定までの道のり。(←コチラは過去のブログ)

その意味で言うと、私は全国の皆様にテレビ朝日のANN特番を通じて2020年大会を発信したとも言えるかもしれません。その後、東日本大震災からの復興した姿を世界に見せることも含めて石原知事は東京都の再挑戦を決断したのでありました。

今は当事者の1人として
その後、私もテレビ朝日アナウンサーから都議会議員として立番を変えましたが、スポーツ界の端くれとして、20年大会の開催を大前提にコロナ禍でも準備を進めています。小野清子先生の訃報に際して、思いを綴らせて頂きましたが紛れもなく私のとっての20年大会のスタートは12年前の都庁ホールです。思えば、今や連日、政策論議を繰り返している都議会自民党の山崎一輝幹事長も都議1期生として、あの場におられました。色々な方々の思いを凝縮して、やってきたんだなあと感じています。

いずれにしましても、小野先生の訃報に際しお悔やみを申し上げます。今、残された私達がすべき事は、多くの都民、国民の皆様が安心を納得された形で開会式を迎えられるか。論理的、科学的に私は対話型で進めていきたいと考えています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です