舛添知事の退職に寄せて。

おはよございます。

この度、舛添知事退職が決まりました。
あらためて、政治資金規正法を考え、政治家の品格を考えます。

規正法は基本理念である第二条の2において、「政治資金の収受に当たつては」とあります。この収受を「収支」に変えるだけでも、今回の三日月会議費問題のような事は起き得ないかと思います。
もっとも、規正法は「規正」であって「規制」ではない事をどれだけの方が知っていたのでしょうか。

いずれにしましても、私が2001年の参院選で初めて選挙運動というもののに浸かったわけですが、その時に圧倒的なトップ当選を果たしたのが舛添要一知事でした。開票を待つ某候補の選挙事務所のテレビで舛添候補勝利の弁を聞いてから15年、まさか退職同意に賛成する事になるとは思いもしませんでした。

今回の大詰めを迎えた数日間で、政治家に必要なのは、大局観と倫理観そして何よりも義理と人情だという事を学びました。何が大切なのか、大義は何か、守らなければならないのは何なのか、それぞれの立場で答えが違っていた事が混乱を招いた結果かもしれません。

東京市会を前身とする東京都議会の道統を尊ぶ者として、そこに矜持のある者同士が一丸となって汗を流し智恵を出した結果、都議会史上初となる不信任決議可決という事態を避ける事が出来たのではないかと、末席議員の一人として私などには計り知れないご苦労を重ねた先輩方に心から敬意を表する所であります。

そもそも私は「大いなる夢」を描き、「無限の理想を実現させる」事だけをただひたすら追いかけて、政治道を歩む事にしました。むしろ、政治にしか出来ない仕事をすべきと、時に「大風呂敷」と言われようが「非現実的」だと指摘されようが「希望の光」に向かって邁進してきたわけです。ところが、実際には舛添知事についても猪瀬知事についても、「道義的責任」を果たす場が総務委員会だったのか未だに頭を抱える所であります。

「知事の品格」あるいは「政治家の品格」をここ最近ずっと考えています。言うならば、「横綱の品格」を考える事に似ているかもしれません。私がこれまで、様々な事を学ばせて頂いた師と仰ぐ先生方には言葉に表せない「品格」「空気」を持っている事は間違いありません。あらためて、今回、「貞観政要」を思い出し、政治家の守成のありようを考える所です。

私は今定例会最終日に、自民党を代表して「討論」をさせて頂きました。討論は、地方自治法や東京都議会会議規則にも記されておりますが、今定例会で上程された議案について、賛成・反対の立場を明確にして演説をするものです。皆さんがご承知のように、不信任決議案は直前で上程されなかったわけですから、私はルールに従って、この件には触れずに、純粋に上程議案について都議会自民党の思いを語りました。

しかし、自民党以外の会派は知事の件に触れた結果、マスコミ各社が私の所へ知事の件に触れない理由を聞いてこられました。私の答えは一貫して「ルールに従って発言をした。」です。この私の立場も「違法ではないが不適切」という判断になるのでしょうか。私は議会局議事部長に、私の討論は不適切であったのか確認もさせて頂きました。

いずれにしても、私は「東京を世界で一番の都市にする」為に、多くの有権者に負託された重みを肌で感じ、都政運営に邁進していくのみであります。今後ともご指導の程、何卒宜しくお願い致します。

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