政策が推進していく時こそ、経験値が必要ではないのだろうか。

おはようございます。

昨日で、都議会予算特別委員会の議員からの質問がひと段落付きました。各会派の代表選手が東京都の未来の為に力強い議論を都知事や局長達とやり合い、私自身も学ぶことが多いにありました。

さて、では何を学んでいるのか?これを述べなければブログの意味がありません。一部の読者からも議会活動の大変さなども書いたらどうだと提案も頂いたところです。

本会議も含めて、まずは私が凄いなと思うのは、新たな切り口で都政を語っている場面に出くわしたときです。例えば、今回の予算特別委員会では最初の包括質疑として都議会自民党からは高木啓政調会長(北区)

がご自身の哲学を織り交ぜながら質疑を展開されました。

冒頭に舛添知事とは後藤新平論をやり取りしました。東京都政の場における後藤新平は関東大震災からの帝都復興計画がどうしても象徴的となっています。あの時に、大変斬新な都市計画が策定され進んできたので当然と言えば当然です。

しかしながら、私が学んできた後藤新平は台湾総督であり、満鉄総裁であり、あるいは拓大総長だったりします。その中で、自治三訣と呼ばれる「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして人の報いを求めぬよう」という哲学を私は吸収して参りました。高木政調会長と舛添知事とのやりとりでは都市計画に対しての後藤新平の要素が大きく展開されてそれはワクワクな展開でありました。

また、他にも広い東京都らしく区部と三多摩でも問題との向き合い方が異なったりします。対する役人方もそれぞれの背景の中で、それぞれが地域を東京をよくするために大きな思いを抱いているんだろうなという様子が垣間見えるわけです。

とは言っても、好きな事を述べる場が議会ではなく、役所から前向きな答弁をどう引き出すかが重要であるという視点が忘れがちです。明らかに答弁が引き出せず、ただ単に質問者の自己主張の場で終わってしまうケースは残念です。限られた時間で東京都の未来を好転せねばならぬのに何も生み出せないまま時間が過ぎてしまう事の儚さを感じてしまうのです。

そのためには、常日頃から役人とは意見交換をし、問題意識の方向性を一つにしておく大切さがあるなと思っています。だからこそ、こだわりの政策はとことん突き詰めていくべきであるなと感じるのです。

昨日は議会の若手化を大きく論じる大手紙がありました。単純に捉えれば素晴らしい事です。しかし、相手は役所であり、議員側が経験則もなく教科書を読んだだけで事に当たってはハッキリ言って舐められてしまう危機感もそこにあるのではと思います。私は自民党という組織に属しているからこそ、重要政策を、実現してこられた先輩方の空気に触れる事が出来ます。そこで学ぶことも多いのです。

私は現在の都議会自民党で最年少議員ですが、つくづく思います。最後に付け加えれば、経験値の高いベテランの大先輩ほど中身は斬新なアイデアが多く尊敬しています。若い→良。ベテラン→悪。という額面通りの構図は実は都民や国民を不幸にする危険性がはらんでいる事を書いておきます。

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