おはよございます。
日程が早く動いておりまして、品川駅前でコーヒー飲みながらブログを書いています。
丁度、秦基博さんの「ひまわりの約束」が流れています。
映画「STAND BY ME ドラえもん」を見て泣いた大人が昨年は多くいたと記憶しています。
涙と感動を誘ったストーリーであった事は間違いありません。
今日は別の視点から。
実は私はあの映画を見て以来、のび太君の偉大さに感心しています。
数年前に、大学の新入生相手に講演依頼があり、私はソクラテスの「無知の知」についてお話をさせて頂きました。
これは、哲学の話ですが、色々な専門家に会えば会い色々な話を聞くのですが、そこに知や善はあるのかと疑問を抱きながら、様々な話をする人との接点の中で最終的には「自分は知らないという事を知っている」という境地にたどり着いた事が「知者」だとされたお話です。
のび太君に「無知の知」の自覚があるかは分かりません。しかし、少なくとも彼は自分では何も出来ない事を知っている純粋な人間です。悪ガキ大将のジャイアンのようなパワーも無い。スネ夫のように財力も無い。出来杉君のように「知的さ」もない。しずかちゃんのように「チャーミングさ」もないわけです。その様々な要素を持ち合わせていない事だけは少なくとも自覚しており、だからこそドラえもんに頼るわけです。
ところが、各場面でドラえもんの道具を使って世の中を動かしても喜びは一時で、自己満足だけで道具を使っても空虚さが残り悲しくなるのがのび太君です。最後は反省し正しい道を歩もうとするストーリーを見るにつけ感動するわけです。その昔、ドラえもんを見ていても感じなかったのですが、今見ると色々と感じるんですね。
政治家も同じです。一人の力では何も出来ません。仲間と力を合わせ、先輩方や役人の皆さん方と知恵を出し合いベストな選択を探っていかなければなりません。私が間近に見ている先輩方は常に研究に研究を重ねています。無知の知の境地で、新鮮な発想で未来の東京を描いているのです。
実は今生活している中で、隣にいる一人一人がドラえもんでありのび太君なのかなと思っています。お互いが困った時に支え合う。これが絆ではないかと。
そろそろ時間が来ました。気づけば後ろで流れているのは中島みゆきさんの「糸」になっています。
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