政治

挑戦〜be a Risk Taker〜

私は今年を「挑戦〜be a Risk Taker〜」の一年にしようと心に決めた元旦でした。昨年7月4日の東京都議会議員選挙では多くの皆様のお支えを頂き逆風の中、当選させて頂きました。あれから半年近く、その重さを胸に議員活動に注力してきました。しかし、私の中には、まだまだ物足りなさを感じています。

私はメディアの立場から、この社会を変えたいという思いで政治を志し、政治浪人期間を経て9年前に都議会議員に初当選させて頂きました。常に「前へ」「改革」をモットーに活動してきました。政治家としての常識を踏まえず、自分の感性にまかせて動いてきたわけです。

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【両サイドから炎上!?】結局、酒禁止を強要しているのは国なのか?都なのか?

俺は馬鹿だ。馬鹿なりに愚直に動く。
本当に雰囲気作り、イメージ作りは怖いものです。アエラドットを受けて「川松は馬鹿」だの「川松は最低だ」とのリプやコメントが届いています。少なくとも、7月4日に都議選でお約束したのは、自民党候補者以前に、1人の政治家として「制度と制度の狭間で落ち込んでもがき苦しんでいる人達に光を当てる。納得できない政策ならば、私に出来る限り、納得と共感の政策説明をしていく。」という事です。この内容の街頭演説をYouTubeにあげていなかったので、今日中にアップします。

今日は最後にしますが、1日に経ってみて、更に重要な事に気付きました。
なぜ、私や小松都議が、広く公募する前に誓約書に気付かなかったか。それは都議選の真っ最中だったからです。落ち着いて、色々と点検していたら分かった話です。そこでです。という事は、この期間は「小池知事療養期間」という事になります。知事職を代行していた多羅尾副知事が、なぜ国基準以上に強める判断をしたのか、これは明らかにしなければいけません。というのは、現場から各情報が都知事よりも入るはずの副知事にも現場の空気感が伝わっていないなら、これはもう、都庁舎全体の都民への裏切りだと私は思うのです。

今日も現場視点で動きます!!

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東京を破壊する空気を一掃しなくては。【飲食店など現場の声と】

東京を1つにしたい、その思い一心で
連日、政治への民衆の距離が離れていく、そんな危機感を抱き警鐘を鳴らし続けています。勿論、言うだけでは何も変わらないので、様々な角度から事態打開に向けて努力を重ねる他ありません。にしても、今回の緊急事態措置というか基本的対処方針で様々な措置が盛り込まれています。飲食店への協力要請も「酒類の提供をしないように」と戻ってしまいました。

それでも、この間は、都内の至るところで時短要請は受けない、酒類は提供するというお店が多かったという報告を受けています。その理由は様々ですが、往々にして「協力金では足りない」という固定費を稼がねばならない店舗の実情があると考えています。額が足りないという事もさる事ながら、協力金の支給が遅いのも「飲食店が要請を聞けない」理由の1つであるとも言われます。この協力金の支払いが遅いという指摘に対して、小池知事は9日の記者会見で「4月分の協力金については9割処理済みになっていますし、はっきり申し上げて、他の都市よりスピード感をもって対応してきていると思う」と極端な反論をされました。

私は、協力金の体制について、常に東京都が強化をしているのは理解しています。実際に、遅くなってしまっているケースのほとんどが書類不備などの審査上の課題があり遅くなっている、或いは保留となっている場合が多く、小池知事の言葉自体に間違いはないのかもしれません。ところが、この反論の様子を見た私は「本当に現場視点なんだろうか。」と疑問を呈さざるを得なかったとも思います。

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小池知事を都民は信任したのか?【宣言下における制限の数々】

私は「政治は決める事。政治家は決める人。選挙は決める人を決める事。」という大原則をこれまでも様々なところで訴えてきました。更に「決めるとは泥を被る事」だと保守の大物政治家に10年ほど前に言われた事を常に胸に置いています。

今般の都議会議員選挙で、私達、都議会自民党は第1党に返り咲いたとは言え、候補者の半数近くが落選という厳しい審判を受けました。これには様々な要因があり、私は巷間言われているように選挙戦最終盤での小池知事の動向云々が主たる要因ではないと思っています。コロナが長期化する中で感じている自粛疲れや、政治や行政への不信、不満が表に出た結果でないかと思っているのです。

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政治こそが人々を幸せに出来る。【有権者との乖離を乗り越えて】都議選・墨田区

「川松さん。私ら、一体いつまで辛抱すればいい」
「政治家は誰の声を聞いているんだ?」
「これ以上、どれだけ我慢すれば都は気が済んでくれるのか」
「自民党は嫌いだ」
「オリンピックはなんでやるんだ?」
・・・・・
前回2期目が始まるにあたり、私はイギリスの歴史学者トマス・カーライルの言葉を借りてこう記しました。