下町が生んだ巨人・鷲尾悦也連合3代目会長を偲ぶ。

こんばんわ。

月曜日のお昼頃届いた鷲尾悦也・連合3代目会長の訃報。

私にとって両国高校の先輩であり、郷土が生んだ巨人の死であり、突然だっただけに大きな衝撃を受けました。

鷲尾さんとの出会い、ご縁は偶然と言うよりは必然だと私は思っていて、

出来の悪い後輩が心配だったのか「労働界の顔役」という立場がありながら、党派を超えて昨年の私の選挙ではご多忙の中、各種会合に出席して下さいました。

決起集会時に鷲尾さんから頂いたスピーチはこちらでご覧になれます。

 

【川松真一朗防災イベント 鷲尾悦也・元連合会長 】

http://youtu.be/Dc6msEgX3iY

下の写真は、私の決起集会時の様子です。
川松真一朗の「日に日に新たに!!」

その鷲尾さんとの出会い、“伝説”、お人柄など書きたい事が山のようにあり、整理しながら、これから書いていきます。

「労働組合の親分」としての接点は逆に何もない私です。個人的な先輩後輩という関係の中でのエピソードをまとめます。鷲尾さんを知っておられた方も、そうでない方も是非読んで頂ければ幸いです。

鷲尾さんは都立両国高校で語り継がれる知る人ぞ知る“伝説”があります。

高校生時代に鷲尾さんは新聞部だったようで、新聞記事に教職員にとってよろしくない記事を載せようとしたところストップがかかってしまったそうです。そこで「検閲のため」というお断りを入れて、記事部分を白紙で新聞を発行したという伝説です。

この伝説をいつか本人に聞いてみようと思っていましたが、連合会長に中々プライベートでお会いする事も出来ず月日だけが過ぎていきました。

そんな折り、既に連合を退任されて、全労済本部理事長に就任されていた鷲尾さんと、NPO活動で旧知の川嶋・千葉全労済理事長が段取りをして下さり42年違いの先輩後輩面会が全労済本部で実現しました。

かねてから「鷲尾さんに聞きたい事がある。」と労働運動の方々に言い続けてきたからこそ実現できたわけです。

そこで、上記の伝説について尋ねてみると、

「へー、そんな事を知っているんだ。」とニコニコ顔で対応して下さり、

「マスコミの人間で俺に政治の話を聞かなかったのは初めてだ。」と大笑いして意気投合したという次第です。以後、事ある毎に鷲尾人脈とのご縁があり、労働運動の中心メンバーと接点を持つ機会を作って下さいました。

(続く)

鷲尾さんの簡単な経歴を載せておきます。

昭和13年9月20日、当時の東京都本所区でお生まれになりました。

以後、中和小学校、竪川中学校、都立両国高校、東大経済学部を卒業後、

昭和38年八幡製鐵(新日本製鐵の前身)入社。

45年新日鉄本社労組 書記長

53年新日鉄労連    書記長

63年鉄鋼労連      書記長

平成 2年鉄鋼労連      中央執行委員長

平成 5年連合         事務局長

平成 9年連合         会長

2月27日

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