おはようございます。
私は今回の予算特別委員会で別の会派の議員が舛添都知事にムスリム対応策について質疑をされました。知事からは最終的に、自分自身は昔からイスラーム研究をしているので、言われるまでもなくやっている旨の答弁がありました。
勿論、昨今のISISのニュースがあるから余計に注目されている事柄ですが、現状を理解しようと言っても容易な事ではありません。知事も前から研究されているイスラームの世界ですが、私のごくごく身近な人間が単身で中東に住んでいたこともあって一般の方よりは私は関心が高いと言えるかもしれません。
とは言え、2人の日本人殺害事件後、日本の報道では目にすることが少なくなりました。しかし、チュニジアの事件も因果関係がありそうだという見方もあります。今こそ、世界で一番の都市実現を目指す東京都議会議員として学ぶべき事を学んでおこうと資料を見つめ直しました。それは、預言者の存在から、シーア派とスンニ派の誕生はどのようにして起こってきたのか?など、復習したわけです。
更にさかのぼること、今から1万年以上前に現在のイラクのあたりで発展を遂げたのがメソポタミア文明です。その1万2000年前に小麦の栽培を始めたのがメソポタミア文明圏においてです。その背景から、生産と交易が盛んであったと指摘するのは松岡正剛さんだったりするわけです。そのイスラームの遥かなる文化の歴史を考察せずして、現在、このISISが2人の邦人拘束事件をきっかけにメディアに登場する識者とされる方達の言葉のみに引っ張られて分かった気になってしまうのはとても危険な行動であると考えるわけです。もちろん、分析は多種多様でそれぞれの育ってきた環境に左右されるでしょう。
なぜ、こんな事を語るかというと今日がオウム真理教による地下鉄サリン事件から20年の節目で考える事が出てきたからです。オウムのテロ実行犯達は教祖が最終解脱者として自らを「尊師」「ゲル」と称し、殺人を「ポア」と呼び、殺人さえも善行であるという教えを説き、あくまで「救済活動」なんだと信じテロが行われた事は記憶に新しいところです。
たまたま今朝の文化放送で作家の佐藤優氏がISISも「あいつが嫌い」とか「憎しみ」とかでは大量虐殺などできない。自分達の正義を貫いて殺人も辞さない覚悟でやっている点はオウム事件に似ている点だという内容について語っておりました。
とにかく私達は学び続ける事が大切です。対岸の火事として捉えると直ぐに忘れてしまうという事を自らの戒めとしているのです。約1年前の3月18日はロシアによるクリミア編入がありました。当時はクリミア半島の歴史について、あるいはウクライナ情勢についてメディアも取り上げていましたが現在は伝えるメディアがほとんどありません。
私は先の都議会本会議一般質問で、ジャーナリストのトーマス・フリードマンの言葉を借用し「世界はフラットだ」という認識について語りました。フラット化、グローバル化の渦では、物理的には距離があっても情報ツールの発展により距離が無い時代です。邦人拘束殺害事件でも、ISISのメッセージは動画を通して中東から日本へ届きました。そういう社会環境では、日々当たり前も急速な変化を遂げている可能性が高いのです。
ビッグデータ活用も大切ですが、多数が真理とも限りません。真贋を見抜く目を持ち、高度情報化社会を乗り越えていかなければなりません。
コメントを残す