東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・40歳)です。
全国最速で完了!
今、私の地元・墨田区では16歳以上全ての皆様へのワクチン接種権配送作業完了し、接種券を持っている方は大手町大規模接種会場であったり、クリニックであったりと20代30代の方もワクチン接種を行っております。当然、ご希望される方のみで強制ではありませんが、このスピード感は全国のメディアでも注目されています。
この度、その先頭に立って陣頭指揮を取っておられる山本亨区長と特別対談企画を行ってきましたので、YouTubeでアップ致しました。尚、対談の書き起こしたものも下記に載せておきます。流石に、スタッフ総出でこれから迎える決戦の作業をしているので、私が夜な夜な書き起こしました。スピード感を重視して、とにかく早く、この投稿をさせて頂きます。ミスは発見次第、修正致します。
以下は、今回の書き起こしを整理したものです。お時間のない方は、こちらだけでもご覧ください。
↓
−墨田区は全国的に最速で16歳以上全ての方へワクチン接種券配送完了を成し遂げました。
川松
区長として、この墨田モデルと呼ばれるまでに成功した最大の要因は何だと思いますか?
山本
まず区民を思い浮かべて、やっぱり区民の皆さんに安心して頂く、全てにおいてですね。コロナ対策やワクチン接種体制作りをしっかりして、先手を取って、区役所としてみんなでチームワークよく動いてきました。
そのために何をしていくのかというところが結構大事と考えて、色々なアイデアを持ち寄って区民のためのアイデアを実践できるようにと心がけてやってきたっていうのが一番基本中の基本になります。
川松
私もいろんな方に、何で墨田は進んでるだって聞かれるんですけど、私が答えるのは「区長を中心に、当たり前のことを当たり前に去年の春からやってきた結果がこうなってますよ」っていう話をしてますが、やっぱりこう去年の3月4月頃の対応が早かったと私は思っています。
1年前からの先手、先手
山本
一番最初を思い起こすと、昨年4月10日にPCR検査センターを区役所のリバーサイドホールで、あの当時、思い切って開設をしました。色々当然ご意見はありました。
区民に心配をさせないような区職員間の努力、知恵によって、開設をした成果効果は出たと思っています。
やっぱそこが原点です。そこからずっと同じようにあの繰り返し色んな課題に取り組めているということが一つあります。勿論、川松さんにも色々な形で支援して頂いているんですけど
川松
医師会との連携も迅速かつ深いものでしたね
山本
これは墨田ならではというか、墨田区医師会の皆さんが色々な連携を取ったりご協力をいただいたり理解をして頂いて、区民のために一緒になってこう汗をかこうよと。
本当にこう総合力みたいなとこがあるかなって思っています。
[川松]
保健所を中心とした検査体制を作りました。私も含めて検査拡充を墨田区模索する中で、素晴らしかったのは区長の判断です。さらに検査会社もこの保健所と連動させると事で区内に誘致したっていうことも大きかったんじゃないかなと私は思っています。
[山本]
これもその検査センター開設とほぼ同じ時期に民間の検査会社で現場も本当によく協力をしてくれて、この方達も区民のためにしっかり検査をして早めにお知らせをしてくれるという会社ですけど、これを誘致できたこともこれは区民の安心に繋がっているという風に私は思っています。
[川松]
結構、色んな他の自治体と比べると、数か月前からこの検査体制を充実してきたことが年末年始の第三波の時に大きく影響が出たと私は思っていて、国や東京都はもう積極的疫学調査は全部やらなくてもいい。まずは必要な人たちだけを中心にやれれば、全部ねっていう指針に変わっても、山本区長を中心に私たちの墨田区はいまだに積極的疫学調査手のを緩めてないんですよね。全部追いかけることができたというのは1年前からのこの準備が一番大きかったなと私は思っています。
危機を経験して体制強化へ
[山本]
そうですね。ただそこに試行錯誤はあの正直今までの間たくさんありました。
それから反省点もたくさんありました。
これも川松さんと色々やったあの墨東病院のあのクラスターみたいな時があって、ここは区内の一番の拠点の病院でしたから、ここが危機的状況になっていくとどういう風に区民生活にも影響があるかを考え、再発しないようにと動いてきましたよね。
[川松]
確かに、区内の病院で二つ昨年の春の時点で院内感染、院内クラスターってことが起きたことは確かにやっぱりこう区役所の皆さん方、保健師の皆さん方の緊張感は大きかったですよね。
[川松]
検査結果をとにかく早く出す事を心がけて検査機械も導入しました。これも、今や変異株を見つける体制整備に繋がりました。
[山本]
自前の保健所の中でも確固とした対応がある事で、今となってはそのイギリス株についてもあの一定の検査ができる。さらには今インド株についてもですね。自前で例えば一日一件の陽性者が出た時にこの方達が一体どの株に感染をされたのかということを、やっぱり早めに把握することが重要と考えました。
[川松]
体制を作ったからこそ、仮にインド株が区内で見つかったら、その周りを封じ込めることによって区内に広がるのを防ぎましょねという発想でやってきた訳ですよね
[川松]
そういう中で年末年始の拡大の波を迎えた時に、
東京都全体で行くと12月31日に新規陽性者数が初めて1000人を超えたのですが、私も今、振り返ると年末年始は、東京都福祉保健局や厚生労働省の情報収集や調整をしては、しょっちゅう区長に電話していましたよね。
[山本]
ここは、やっぱりチームワークと助け合い支え合いみたいなところがあって、例えば従来の平時の保健所体制っていうのは、正直に平時です。それに一日数十名という感染者のトレース作業とか、入院や自宅療養、宿泊療養への振り分け等の作業が次から次へとやってくるわけですね。今、川松さんが指摘された、年明けの現場の業務量が急増する事が明白でした。
[川松]
その意味では、年明けて区長はすぐに区役所内の保健所の機能強化ということで職員の数を大きく増やしましたよね。
[山本]※注意内容
自分の職もある保健師さんが、例えば向島保健センター、本所保健センターでやっぱりそこを兼務していただくという体制を整えました。生活衛生の方々にも同じようにここで研修をして手伝ってもらえるような体制整備を急ぎました。
全体的に約80名ぐらい。細かく自分ができたという風な。
転院調整で入院待機者ゼロへ
[川松]
備えていた訳ですよ。都内は1000人2000人だと言ってる時にも墨田区はそれら現場は皆さん大変でしたけれども区長が人員補充していたこともありそれなりに回すことができました。
更に、年末年始に課題となったのが「転院調整」でした。都立墨東病院に入院されて回復期の患者さんが退院出来なくなっているという課題が目の前に現れました。
例えば、高齢者施設クラスターから入院された方達が退院して施設に戻ろうとすると、施設側から、本当にウイルスはもう抜けているのか?人に感染させないのかとか、本当にち大丈夫ですかという声が出るわけです。
今まだ戻さないでくださいっていう出口戦略での大きな課題が出た時に区長やあるいは保健所所長が区議会の皆さん方と努力をして、区内の一般病院にも回復期の方の転院受入をお願いをしたのでした。回復期の患者さんの最後の療養のところを見て頂きたいとお願いしてコロナ病床を増やしていったことも、入院待機者目詰まりの解消でも墨田区は全国から注目されましたが、これも行政としては当たり前の事を模索した結果ですよね。
[山本]
これも日頃から、墨東病院以外に民間だと墨田区内に7つある東京指定二次救急医療機関の院長先生をはじめ、先生方や職員の方々と綿密な連携をしてきました。
例えばですね災害医療。この会議なんかも喧々轟々あの防災訓練等も含めて非常にあの協力的に災害時に区民の命を守ると健康を守るという意識を持った先生方が沢山いらっしゃります。その中でこのコロナだという状況になったら、日頃の連携が今、川松さんが言われた重症病棟から回復期の方を一旦受け入れて頂く、地域完結型病棟・病床というものを我々の発案で持ち掛けたところ、その協力体制がしっかりできて、本当にその回復期病床を整備してからは自宅療養で入院を必要とする方の入院待機がゼロになりました。
区民の安心っていうのは非常にこう高まったのかなというふうには思ってい
[川松]
これは当時、山本区長の判断で、財源は墨田区独自でやると決めたのが、このモデルを他区の区長が東京都に求めた事がきっかけで、財政支援制度も後追いで出来上がってきました。
地域の声を聞き、今のベストを模索してきた成果です。
[山本]
おっしゃる通りで、私は区長になって地域の力、それから何かあった時にみんなでこう協力してやっていける、そういう町にしたいっていう風に思っていました。これはあの都議会の先生方も、区議会の先生方も、この墨田の地域力っていうのはあるっていうことをご理解頂きながら、本当に助け合う時に本当にみんなで協力し合うという区民性、そしてそこに努めて頂く病院の先生方の協力体制とかそういうものがまず根本に間違いなくあるのだなと考えています。
逆に、私たち区の職員は、そういうお気持ちに動かされて、こういうときこそ我々がしっかりやらなきゃいけないなっていう区民から学んで動いているというのが現状です。
[川松]
これが今準備してた時っていうのはその準備、転院調整から含めて一月の序盤から二月に目の前の患者さんの対応コロナ対応がまたまたバタバタしてるんですねこれはもう墨田区に限らずどこも全国的にそうだったと思います。
一方で区長の下では、12月1日にワクチン供給体制の準備に着手しました。現場ではいつワクチンが来てもいいような体制作りというのをやれていたというのがこの64歳以下接種券配送が早いという所に辿り着きましたよね。
[山本]
はい。ワクチン担当部長を設置したのが12月1日ですから、ほぼ6ヶ月経っているという状況です。
[川松]
当時、墨田区は「早すぎじゃないの」と揶揄されたものです。
[山本]
そこにもう兼務は発令して、当時、選挙管理委員会のメンバーを、まだ選挙まで時間があるということで協力をして貰って、まずは体制作り、そして初動の医師会との調整やワクチンに関する情報集め、できればもう接種計画のところまで、ワクチンがいつ届くか届かないかは別にして、墨田区だったらどういうシミュレーションでいくっていうことを12月段階から始めているということが一つの強みとなりました。
[川松]
そうですよね。最初はファイザー社に対応する為のディープフリーザー等を各拠点に置きますと言った時にみんなまったくピンと来てなかったですもんね。
[山本]
それは、今もそうなんですけど、国の通達や通知、それから都の支援体制も日々変わっていくという状況があるので、ある意味で先取りをしなきゃいけない部分と臨機応変に対応する部分、見極めながら、私達はこう日々の情報も頂きながら、対応してきました。
[川松]
そのワクチン供給というのは、国から東京都、それから各自治体へ配分されます。
いわゆる自治体からの希望を考慮して配分量が決まっていく仕組みです。準備が万全だったから、最初から墨田区は強気に行けたのです。墨田区人口は東京全体で見れば決して多くはありませんが、「大丈夫です。どんどん送って下さい。」と言えたので、65歳以上について、確保を100パーセントを早くできたことが、次のステップの早さに繋がりました。
[山本]
大事なことはブレない。それから早めに我々動けていたので、色々なシミュレーションができました。
墨田区議会の決断も大きかった
[川松]
要因は色々あるんですよね。
墨田モデルという点でいくと、区長と議会との関係もかなり良かったです。
予算措置をしなきゃいけないっていうのは区議会のの承認を頂かなければいけませんが、ある時は自民党の区議会議員が、私達とも色々と戦いながらこの一年間乗り越えてきました。率直に意見をぶつけ合えました。
[山本]
これはですね。墨田区議会が、議会改革の真っ只中で通年議会として、一年間議会が開催されています。このおかげで色々な議論ができ、厳しい指摘もありました。それからやっぱり区民の最前線で議員さんはみんな動いているので、自分もそう、川松さんなんかもそうですが、そういう区の実態とか区民の声を我々は聞かなきゃいけない。ソレによって対応を考えるということが原点にもあるので、そういう意味では通年議会の数年間は大きかったと思います。
[川松]
更に、墨田区議会は樋口敏郎議長、佐藤篤副議長を中心に政党ではなく議会として一致団結した行動を取った事も大きかったですよね。
[山本]
議会の知恵です。個別に要望を頂戴すると区議32人からもらう事になり、結構お答えするだけで時間や職員の負担が増えます。ただでさえトレースの仕事やワクチンの仕事は忙しいのですから。議長、議長を中心に要望をまとめていただいて、どの政党ではなく「議会として」5回に渡って我々に頂戴をしたところです。
今こうして評価を頂けているのは、議会の皆さんのおかげだっていうところは間違いないと思います。
[川松]
私は何度も言っているんです。コロナの対策っていうのはもう○○党とかは関係なくて、都民、区民共通の課題なのでみんなひとつやろうって。樋口議長が自民党さんどうですか?○○党さんどうですかって丁寧に聞いて、ソレをまとめて議会全体として区長に常に提案していくっていう体制は都議会も見習うべきだと考えています。
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