学校選択とは誰が選択するものか。児童か世間か。

おはようございます。

公立教育を考えた際に近年では学校選択制というキーワードも表面に浮かび上がってきます。例えば、東京都墨田区も荒川区も区内の小中学校を選べます。

導入され始めた事から、学区の考えがなくなると地域の伝統文化を学び保持していくという側面が形骸化されてしまうから反対だという意見が出ていました。

しかし、私は別の視点での課題を指摘しておきます。法性寺でも話しましたが、学校選択の自由化は区内の学校のランク付け、ブランディングが始まってしまうというベースがあります。

現に、どこそこの小学校が区内でベスト3だなどという会話を耳にします。これは、都立高校のようにれっきとした学力検査があるわけでないにも関わらずです。しかし、一旦ランク付けが始まると世間の目があります。あの子は、あの先生は◯◯小学校だから凄いだとか何を基準にしているか不透明なままイメージだけが膨らんでいくのです。

ところが、どうでしょう。これが果たして機会均等であり、一人でも多くの子供達を大きく成長させたいという環境なのでしょうか。

たまたま「凄くない」とされてしまっている△△小学校があるとします。親はここの卒業生で子供も同じ学び舎でと考えました。自分達の頃は、ドラえもんの登場人物達のように多種多彩な同級生達でしたが、子供の世代は出木杉やしずかちゃんが割合として少ないような気がします。地域のこういう子達は同区内での電車を乗り継がなければならない遥か遠くの◯◯小学校に行ったようです。こういうのは相当中途半端な格付けです。

私立の各学校の校風や先生に惹かれて小学校受験をするわけではないのに、こういう事態から△△小学校の“元気”が衰えていったら一番犠牲になるのは子供達です。

公立の教員には異動があります。“良い”とされている教員でも◯◯小学校か△△小学校のうち後者に配属となったら少し気持ちが萎えてしまうのではないでしょうか。会社組織でも、役所でも異動先の部署によってモチベーションが上がったり下がったりするのは当然です。

加えて、教員の各学校への配当には基準があります。これは学級数ごとの定数配当基準になっており、少子化でそもその母数が少ないのに△△小学校に入る子が減ると学級数の減り教員の数が減ってしまうという計算ができます。すると、今度は何人で1クラスが妥当かという議論が始まるわけですね。40人か35人か30人かなんて。すると、◯◯小学校と△△小学校では教員の数にまで差がついてきてしまうのです。

私自身は学校選択制を悪いとは思いません。ただでさえ、一人っ子を共働きしてでも私立に入れようとする親も増えてきている中で地域の拠点となる公立小学校がどうなってしまうのか不安なのです。選択できるという機会が与えられたと同時に、子供達がどこでも充実して学べる環境という機会を早いうちから担保しなくてはと思うのです。

あくまで公立の学校なのですから。

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