防災の日に思う。先人の恐怖と現代の盲点。

おはようございます。

昨日9月1日は関東大震災から88年目でした。防災の日であり、都内では、災害対策基本法に基づき大規模な防災訓練も行われました。

この9月1日。本所地区を中心とした地域の人間からするととても意味のある1日です。私も物心つく前から無意識のうちに9月1日は関東大震災が起きた日だと認識し、母校・両国中学校前にある東京都慰霊堂には必ずお参りに行っておりました。昨日は妻と子と3人で行って参りました。

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小学生の頃は、始業式が終わって清澄通りを緑町から北上し向かっていったのが思い出です。当時は、江戸東京博物館、両国第一ホテルはありませんでした。今とは違う町並みでしたが露店が並ぶ様は時代を超えて今に残っています。大体、ハッピー(JR高架下セブンイレブンがあるところ)の角で待ち合わせをしてランドセルを置いて家を飛び出していた小学校時代です。

何の話か詳しく説明致しますと、この東京都慰霊堂がある都立横網町公園に沿っている大通りに露店が並びます。毎年9月1日はお堂にて多くの犠牲者を出した関東大震災犠牲者の慰霊法要が執り行われています。靖国神社の例大祭に合わせて露店が並んでいるのを想像して頂ければ良いと思いますが、露天の並ぶ先で震災関係の行事が朝から夜まで行われているわけです。

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さて、私達が幼少の頃は未だ関東大震災を経験した方も多く活躍されていました。ですので、生の被災体験を地域で聞けたわけです。仮に一次体験で無くても、被災者の第二世代も私達にその恐怖や当時の様子を語り継いできました。今になって独自で資料を読み解くと誤認して伝えられていることもあったなと実感しておりますが。

ただ、今は地域を出てしまう方も増え今では第二世代までもが亡くなってしまっている程、時は大きく流れています。地域のコミュニティ力はこういうところにも大きな影響を及ぼすと思っていて、私は東京下町大空襲の体験談も何代も先まで語り継がなくてはならないと考えています。この地域で幼少時代を過ごして良かったと思う要因の一つです。

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とは言っても、最初は関東大震災の事よりも屋台の楽しさの方が先行していました。けれども、音な達を見習って必ずお堂でお参りはしておりました。成長に合わせて、その9月1日の意味を理解し自分達の責任も大きくなってきました。

今年は3月11日の地震を経験しました。高度情報化社会でありながら都内は大混乱、携帯電話は繋がらず家族の安否も確認できぬままの状態。東北の沿岸部の皆さんはその惨状が全国に伝えられるものの肝心要である自分の周囲の情報と触れられず恐怖の中で一晩過ごされた方も多くいらっしゃいました。

現代で、この有り様ですから大正時代の被災者は本当に一体今何が起きているのか断片情報さえも入って来ない状態が続いていたのではないでしょうか。地震後は様々なデマも流され、より不安は増殖されたと伝え聞いています。

大きな地震遭った時に、基本的な対処法心構え時の根本はいつの時代も同じではないかと思います。逆に何でも誰かが助けてくれて、嫌な事から逃げても生きていける現代人の方が根本の精神は脆いかもしれま今こそ江戸東京博物館すぐ横にある都立横網町公園をもっと多くの人に知って貰い、当時を学び、今を考える機会を持つべきだと実感した昨日でした。

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9月2日

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