夫として、そして一児の父として。

任期満了を迎え、新たな4年を賭けて戦う今回の東京都議会議員選挙戦。
議員という職責は未来永劫のものではありません。
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政治の世界には、よく「三つの坂」があるといいます。
上り坂、下り坂。そして「まさか」。小泉純一郎・元内閣総理大臣が引用されたことで一躍有名になりましたが、私にこの言葉を教えてくださったのは歌手の美輪明宏さんだったりします。

マスメディアから政治の世界への転身の決意を後押ししてくださったのも他ならぬ美輪さんでした。かつてテレビ朝日の番組でベストの着用を続けていたのも、実は美輪さんの教えによるところ大でした。
「常にベストを尽くしなさい」、当時いただいた言葉は今も忘れられません。

ベストを尽くす。そして今を生きる。
以前ヒットした映画に、米国の俳優ロビン・ウィリアムズが主演した「いまを生きる」という作品があります。その中に“Carpe Diem(カルペ・ディエム)”という言葉がキーワードとして登場します。ラテン語で「その日を摘め」、転じて「今を生きろ」という意味なのですが、この9日間はその言葉を実感する日々です。

わたくし川松真一朗、現在は東京都議会議員の一員としての職責を皆様より頂いておりますが、過去には2011年の墨田区長選挙において「落選」という苦い経験を味わっております。

どんなに強気を装っても、本音を申し上げますと私も先の「まさか」は常に頭をよぎります。恐らく、それを思わない政治家は、選挙候補者はいない。そう実感しています。

その一方で、どうしてもそうした弱みを見せたくない、同時に隠したくない人がいます。
選挙戦も残り2日。このような戦いの場でプライベートをさらけ出すのは憚りながらも、この4年間を振り返ってこれだけは言わなければなりません。
私情を挟ませていただくことを、どうかお許しください。

この東京都議会議員としての4年間、妻の存在なくしては走り続けることができませんでした。

6年前にテレビ朝日を退職し、不退転の決意で臨んだ墨田区長選。
結果は次点でした。
お支え頂いた皆様には本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。
そして妻にも息子にも、表情に出さずに気丈に振る舞うのが精いっぱいでした。

これから先、どうやって生きていこう。
精神的にもぎりぎりのところで持ちこたえることができたのは。
「まだまだ、これから」そう思えたのは、紛れもなく妻と息子の存在でした。

臥薪嘗胆の日々を送っていたころ、妻から掛けられていた言葉があります。
 

「この子(息子)にとって恥ずかしくない政治をすること」

ある意味で、これが私の芯になりました。
どんなことがあっても、せめて子どもにとって恥ずかしい政治はしたくない、
してはいけない。もちろん妻に対しても同様です。

政治家が揺れ、そして迷ったときには、どうすれば良いか。どうあるべきか。

家族に対して恥ずかしいか、恥ずかしくないか。極めてシンプルな尺度ですが、恐らくそれが一番分かりやすいのではないでしょうか。

政治家の世界には「先生病」という言葉があります。
4年前に初の当選を経て都議会議員の職責を皆様よりお与え頂いた際、ある支援者の方からいただいた言葉があります。

「川松君。先生病には、ぜったいに罹らないでくれよ。頼んだよ。」

先生病。たった3文字ですが、今でも忘れられません。
これだけは絶対に忘れるまい、罹るまい。
そう思いながらの4年間でした。妻からも「絶対に、かかっちゃ駄目!」、そう言われ続けての日々でした。

その他にも、支援者の皆様から頂いた励ましの言葉や、時には厳しい叱咤激励の数々。
4年間、48か月、約1450日。忘れずに参りました。

選挙戦もいよいよ最終コーナーに差し掛かり、珍しく体調もピークを越えている感覚が時折りあります。
それでも、最後まで有権者の皆様、支援者の皆様。読者の皆様、そして妻や息子。
全ての人に対して恥ずかしい政治は最後まで絶対にするまい。今はその一念です。

今回は珍しく私情を挟んでしまいました。どうぞお許しください。

そして最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。
残る期間も、全力で想いを訴えて参ります。
墨田の声で東京を、日本を、そして世界を動かして参りましょう。
 

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