「大阪都」住民投票を振り返って。

おはようございます。

大阪都構想は反対派が勝利した事は報道されました。それから1週間経ちました。
では、大阪都構想とはなんだったのか?各メディアでは識者それぞれの見解が記されています。
勿論、私は橋下市長と語り合った事は無いので、市長の言動や出版物からの考察になります。

橋下市長が掲げた大阪都構想からは「中央集権的な国家の統治システムを根本的に変える改革」と「大阪を大きく変える改革」の二つのエッセンスをビンビンに感じるわけであります。
ココのロジックをよく考えるべきであって、過去の言動では府知事時代に国の直轄事業の地方負担金の請求について「新地の請求書でもこんなにひどいのないですよ。こんなぼったくりバーみたいな請求書。ひどい行政慣行に誰も文句を言わないなんて地方側も悪い。」と国に喧嘩を売る言動が多かったように記憶が蘇ります。

国が地方をコントロールするという国のあり方を破壊して、地方の事は地方に任せるという本筋を訴えていたように思いました。ところが、実は「大阪都構想」という言葉自体は、太田府知事時代に使用されていたものですし、昭和28年の大阪府議会でも議論されていました。

しかし、橋下知事というカリスマが「大阪府は無くなっても構わない。」と叫ぶ姿にマスコミが飛びつき、世間も大きな動きを作っていったのではないでしょうか?
統治機構として行政システムを変えるという政策提言は真っ当な見方ですが、橋下市長の頭には「大阪改革」というイメージだったのではないでしょうか。ONE大阪、府市あわせなどといった言葉に引っ張られるのは、とにかく大阪をどうにかしないといけないという危機感だったかと思います。

いずれにしても、真の地方分権へ、やっていく課題は多いわけで、私達一人一人が哲学を持って政治をやっていかねばならないんだろうなという気持ちになります。

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