下町愛が日本を支える柱になる。

こんにちは。

先日、「地域学」の必要性を記しました。私達が暮らす地域の祖先が、この土の上で何を経験し後世へと残してきたものを、しっかりと受け止める事で新たな価値観を見出だして、更なる発展を地域にもたらすのではないかという考えに基づいているからです。

例えば、その地域に伝わる伝統工芸はそこに職人さん達が絶えずその技を伝えてきた事で一つの文化として地域の誇りを生んでいると思います。その点において、その地域出身者でなくても、「郷に入ったら郷に従え」の精神で一からその土地の空気や水、文化の継承者となっている方が多いのも事実です。そこには、そういう文化や技の継承者であるという自負もあるはずです。

相撲で言えば、当初、外国人力士と聞いて抵抗感もあったでしょう。ましてや、曙が横綱になる時には大きな議論があったのも記憶しています。横綱は強いだけではなれないんだ。横綱としての品格を要求されるわけです。その点において、被災地で横綱土俵入りを行った横綱・白鵬が相撲界の様々な伝統・文化を背負っているように見えて、国籍ではなく横綱としての存在感をそこに見るわけです。

東京で考えれば、間違いなく転入者が多いわけですから、土地の歴史や文化なんて知らないよという人が増えているのは事実でしょう。しかし、そう考える人達には、それぞれに故郷があるはずです。北海道かもしれない、鹿児島かもしれない、十人十色です。鹿児島出身者が薩摩隼人として誇りを持ち、居酒屋で幕末の話になれば熱く語り合った経験は一度や二度ではありません。ある時には、私も薩摩ですと、政界のフィクサーと呼ばれる人物が見ず知らずの私達の会話に参加してきて驚いたものです。

それはさておき、その道産子や薩摩隼人の子供達はどうでしょう。実は、北海道や鹿児島を知らないわけです。その時に、例えば、荒川区の小学校、中学校に通っていたなら荒川区が、江東区の学校に通っていれば江東区が2世達にとっては故郷になるのです。

ところが、地域学が徹底していないと、彼らは東京が故郷でありながらも、そこに流れる文化・魂を感じないままに大人になっていきます。家では、お父さんやお母さんが郷土の良さを語り、耳にはしていても実体験の無い故郷でしかありません。親達も、子供の故郷が荒川区や江東区だとは中々思えないものです。

それだけに東京におじいちゃん、おばあちゃんもがいない子供達含めて、○代目という子供達とともに「東京が故郷だ」と胸を張って言える風土をシステムとして構築し、その土地を愛する誇りを持つ人が一人でも増える事が将来の地域、日本に繋がると思うわけです。

今、連日のように橋下市長・大阪維新の会がメディアを賑わせています。やはり市長が大阪を愛し、大阪をよくしたいという一心で大阪の問題点を見つけ問題ていきされているからこそ、大阪が注目を集め改革に繋がっていく機運があります。大阪出身者だからこそ為せる技と捉えています。同様に下町を代表するリーダーは下町の誇りを持つ人でなければなりません。その地域の代表者として政治リーダーが存在しているものと思います。特に政治家の場合、現代はその地域出身者かどうかというのは最重要課題では無くなってきているのも事実ですが、地域代表者としてやるべき事をやらなければ、ただ単に政治家をやっていますというだけで地域の代表者をしているというだけのメッキが剥がれていくのではないでしょうか。

地域哲学は地域の土壌で育ち、様々な異文化と触れあう事で芯が太くなりより良きものになっていくものだと考えます。今年は古事記編纂1300年ですが、国生みの場面で出てくる「修理固成」という概念を今一度見つめ直しています。この国生みに完成(ゴール)は無く、ただひたすらに発展させて後世に残す。少しでも良くしていくという日本人の使命のようなものを感じるわけです。

そのために、どのようなリーダー像が求められるのかを考えて行動して参ります。

特に、私がこの一年間、町を歩き様々な気づきの中で考えた事、思った事をじっくりと時間をかけてお伝えしていきたいと考えています。

3月15日

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