こんな政治家ばかりだから、政治家が低い存在になっちゃう。

こんにちは。

昨日のブログでも書きましたが、朝霞の公務員宿舎建設は「再凍結」という新たな判断が下されました。やはり中止とはならず物議を醸しています。

そんな中で、安住財務大臣が今後中止の可能性もあると発言したようで、一体全体、先週の予算委員会は何だったのかと首を傾げてしまいます。

そもそも、この予算委員会も渋々と政府側が国会の会期延長を受け入れた事で実現したわけですが、あの中で政府側は野党の追及にも公務員宿舎の必要性を粛々と訴えておりました。それが、野田総理の方針転換を受けて、安住大臣までもあれだけ強弁で対抗していたにも関わらず前言を翻すとは。

ただ議論となれば、どこかで相手が正しいと思い「参りました」と降参すれば相手の意見を尊重するものであることは間違いありません。法律討論でも仏教の解釈を巡る論争もみな同じです。それであるなら、建設問題について建設的な議論が出来たという事になるでしょう。

しかし、今回はどうなのでしょうか。ただ世間の風当たりが強いから止めました。と見えてしまいます。もし、再検討したならじっくりと分析すべきだったかと思います。これでは、一国の政府の決断としては軽すぎやしないかと危惧するわけです。これだから、大臣が軽量級化していると言われ、子供達が目指すものランキングでも政治家は下に埋もれたままの憧れられない立場に成り下がっているんだなと実感します。

私も区長選挙に出馬する、あるいは出馬した後も「政治家なんて馬鹿馬鹿しい」「政治家なんてやめておけば」と何人に言われたことか。既に立候補もした後にでさえです。そんなに低い立場なのかなぁと寂しく思う反面、政治家という存在が本当に威厳を感じ憧れの的となるように精進しなければいけないと自らを奮い立たせているわけです。

次世代の人々が政治家を忌み嫌わず、将来の目標となるその日を迎えるまで正心誠意で皆さんとチャレンジしていきたいです。

10月5日
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