高島先生への感謝の思い。10月3〜6日の活動記録。

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・42歳)です。

都議会では、高島先生の急逝に衝撃が走った1週間です。中でも5日の定例会最終日の昼に、とある弁当が都議会自民党の執務室に届きました。これは、高島先生が第3回定例会を病気療養のために全日程休む事になる。その間、自身が欠ける穴を議員団に埋めてもらって迷惑をかけたという事で、生前に発注・精算をされていたものでした。おそらく、ご自身は病気療養はするものの、最終日にまさか自分が黄泉の国に旅立っているとは、思ってもいなかったのではないでしょうか。

8月に高島親娘と国技館で並んだワンショット



私がテレビ朝日を退社して、臨んだ最初の選挙は「2011墨田区長選挙」でした。準備段階で東日本大震災が発生し、新人にとっては大変やりづらい選挙でありました。この時は、自民党関係から4名、共産党から1名出馬という保守分裂の選挙に。自民党東京都連の推薦候補者は「なし」という異例の体制の選挙でした。この最終日、東向島駅で挨拶をしていたところに、高島先生が現れ最後までお支えを頂きました。

その後、内田茂先生、高島先生に呼び出しを受けて、自民党党本部の一角でお話をすることに。
内田先生からは、色々な思いもあるだろうが、この浪人期間、我々に身を預けないか。俺らが教えられる事は、徹底して教えてあげるからと言われたものです。その時点で、実は自民党党員ではありませんでしたが、内田茂先生が紹介者として自民党に入党。それから、都議会議員選挙に挑戦する2013年までは、墨田総支部ではなく、都連預かりの立場で、青年部活動にも参加していました。この頃、今や足立区議会議員として活躍する長澤さんが、また高島事務所で秘書をやられていて、3名での面会の時間調整をよくやって頂いたものです。

とは言え、内田・高島両氏は、当時は落選中でバッジが無いにも関わらず、お二人には都庁や霞が関の役人から相談が入っていました。そして、相談に対して的確に意見を述べられていく。決して、強引に物事を進めようとはしていませんでした。過去の事例や、全体的な俯瞰の目を持ち、総合調整の役割を果たしていく、私はそんな様子を傍らで見ていて、内田茂さんの事を「歩く都政の百科事典」と称していました。どちらというと、口数の少ない内田先生の意見に、高島先生が十二分なフォローしていくきめ細やかさ。学生時代やマスコミの時に、接していた政治ではない、リアルな政治のあり方を痛感してものでした。

そして、私は2013年都議選に選挙スタート1週間前の出馬表明という前代未聞の事がありました。あの頃、私は日本大学の職員として、グラウンドの掃除・片付けをしている時に1本の電話がかかってきたのを鮮明に覚えております。

そもそも、2012年冬に、内田・高島両氏から「君は都議会議員に向いている。都議選に出るべきだ。」そのように説得をされました。しかしながら、民間から初の墨田区長を誕生させたいと支援して頂いた区議の先生方や後援会が、猛反対をして、その要請を一度お断りしていたのです。


その状況で受けた電話が「もう出るしかいない。情勢調査で川松さんなら墨田区は自民党は2議席取れるから。この件は、既に森さんにもお伝えしてある。森さんも応援すると言って下さっているのに、断ることはないよね?」と、退路を断たれた電話でした。その日の夜に、東京都連が、墨田区議会重鎮の自宅を訪問。私の出馬を墨田総支部で議論して欲しいという要請が正式に入ったのでした。

私は私で、後援会長のところに行き、事情を説明するも「墨田区をよくするという志はどうするんだ。」と当然の議論に。この選挙で勝てれば、今までとは比べ物にならないほど、東京都と墨田区の結びつきは強くなります。それは内田さん、高島さんと、これまで一緒にいて、東京都役人だけでなく、様々な団体の関係者とも関係が深くなっている。私も、区長を目指したいとは思うけど、どんな形でも墨田区を良くしたいという思いは少しも小さくはなっていません。」と喧々諤々の議論の末、私の身は滝沢良仁区議に委ねる事にしたのです。墨田総支部内も、色々とあったようですが、正式に私の出馬が決まりました。

それから急ピッチで準備を進めるも、事務所を借りる段取りも出来ませんから、区内の支援者のご自宅ガレージを事務所にするという決断をして活動を始めました。私の最初の街頭活動は「両国駅西口」。ここに安倍晋三総理が応援に駆けつけて下さり、大きなスタートを切って初当選となりました。



この10年前の選挙戦。前述のように内田先生も高島先生も落選中の身で捲土重来を期す重要な選挙であったにも関わらず、連日ご連絡を頂き、自分達の割り当てできた自民党の広報宣伝車も千代田区や足立区でなく、墨田へと車を回して下さったのでした。こんな義理人情に厚く、かつ繊細に物事を進めてきたお二方が晩年、「都議会のドン」「2代目ドン」なんて言われて、悪者扱いされた事は悔しさかったですね。

そういえば、この13年選挙で私の選挙責任者を務めて下さったのが山本亨区議(現在の区長)で、ここから都区の人事交流なども含めて、従来にはなかった動きを導く事が出来ました。

今、ラグビーワールドカップ2023フランス大会が開催中ですが、2019大会開催の裏で、高島先生が果たした役割の大きさは知る人ぞ知る、重要な都政の歴史です。次は、このあたりも回想していきたいなと考えております。


2023年10月6日の活動報告
10:00~打合せ
14:00~高島家ご葬儀現地会議

17:00~党本部
18:30~東京都議会議員選挙補欠選挙(立川市)
21:00~都議会自民党打合せ

2023年10月5日の活動報告
09:30~資料整理
11:00~都議会自民党・役員会
12:00~都議会自民党・総会
13:00~都議会本会議

17:30~都議会常任委員長・特別委員長会議
18:30~東京都薬剤師連盟懇談会

2023年10月4日の活動報告
08:45~自民党東京都連各種団体ヒアリング
12:00~自民党都連打合せ
14:00~都議会・議会運営委員会理事会
14:30~都議会・議会運営委員会委員会

18:00~トレーニング
19:30~日本大学打合せ

2023年10月3日の活動報告
09:30~資料整理
10:30~都議会自民党・役員会
11:00~都議会自民党・総会

13:00~東京都私立幼稚園連合会意見交換
18:30~墨田区内

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