東京都議会議員の川松真一朗(墨田区・都議会自民党最年少)です。
石破茂代議士の応援演説の続きです。
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【7.超高齢化問題に立ち向かう】
そして申し上げておきますが、これから東京が迎える超高齢化は、半端なものではありませんよ。
半端なものではない、なぜか。
昭和30年、(聴衆の方を指し)生まれた年よりもずっと前ですね。
私が生まれる2年前なんだが(会場笑)、1955年、昭和30年から1970年、昭和45年。
大阪で万博があった年です。たった15年の間に、北海道から九州から、東北から四国から、
たった15年の間に日本国中の地方からこの東京に、500万人の人が移り住んだんですよ。
皆さん方の中にもいらっしゃいませんか、その頃に東京へ来たんだよ、って方。
そうですか。昭和30年から45年まで15年間に、日本国中の地方から500万人の人が東京にやってきた。私は鳥取で、小学生や中学生をやっておりました。
東京に人が集まって大変です、高島平団地をつくり多摩ニュータウンをつくり、校庭をつぶしてプレハブ校舎をつくり、そんな時代でありました。
一昨年は、昭和で言えば90年でしたね。
昭和30年に15歳で東京に来た人は、一昨年いくつになりましたか。
90から30を引くと60、60に15を足したら75。
昭和30年に15歳で東京に来た人は、一昨年もれなく75歳になっている。
なってない人は一人もいない。居るはずがない。
昭和30年から45年までに、若い人が爆発的に増えた。これからはその裏返しが起こる。
高齢者が爆発的に増える、それが東京です。
今まで東京は若い町でしたから、医療とか介護とか、そういう態勢が充分でなくてもやれたんです。
これから先は、絶対にそうはいかない。
いかにして医療、介護の態勢を整えるか。
それも東京の、一番大きな課題のひとつであります。
【8.川松真一朗を通して、あなたが墨田を、東京を、そして日本を変える】
いかにして安心、安全な町をつくるかは、若い人たちだけのものではない。
高齢者の皆様方のためでもあります。
安全、安心な町。大勢の人がやってくる町。世界の人が楽しめる町。
そういう墨田が、新しい東京をつくります。新しい日本をつくります。
川松真一朗のための選挙ではありません。
墨田区民、一人ひとりの幸せを実現するための選挙である。
墨田区が東京のために、果たすべき役割を果たす選挙である。
そして東京は、日本のために、果たすべき役割を果たす。
その都政を担えるのは。この墨田区で担えるのは、川松真一朗である。
私はそのように固く信ずるものであります。(会場拍手、川松深々と一礼)
4年前のような追い風は吹いてません。
それは我われ党本部が至らないところがあって、都議会議員候補にも多くの迷惑をかけております。
私もあちらこちらで、お詫びをして歩かねばならないと思っております。
追い風は吹いてません。
逆風だと思っています。
ですけど、そんな時こそ真価が問われる。
厳しい選挙です。
この錦糸町に大勢の方々、せっかくの土曜日にお出かけいただき、足を留めていただきました。
4年前もそうでしたが、投票日まで行くか行かないか決めていないって人が一杯います。
投票日になっても、誰にいれるか決めてないって人が一杯います。
いま絶対、川松真一朗に入れようっていう人だけでは当選しません。絶対にしません。
行くかな、行かないかな。誰に入れようかな。そういう人が、選挙を決めます。
私も31年、国会議員をやって、自分の選挙だけでも10回やりました。
毎回毎回、自分の選挙民の皆様にお願いをするのは、是非ぜひ集まってくださった皆さん。
1人でもいいです。2人でもです。声かけてください。電話してくださいっていうお願いを
毎回毎回、し続けております。
9割の確率で入りますから。
「川松を頼む」って言っていただいたら、9割が川松って書きます。
だけど、川松だけがそれやる訳じゃないから。他の候補者も同じことをやる訳だ。
向こうは電話をかけました、川松を頼むって電話が入りませんでした、そうしたら
向こうの票が増えるに決まっているじゃないですか。
(そうしたら)川松が働くことはできません。
どうか、長い時間聞いていただいてご迷惑をおかけいたしました。
ありがとうございます。
どうか、川松真一朗。皆さま方が声をかけていただいて、これから4年間。
若い力で、正論で、正義感で。この墨田区から新しい東京をつくる。
川松真一朗、皆さま方のご支持、ご支援を心からお願いして、石破茂のご挨拶といたします。
どうぞ川松真一朗をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(会場拍手)
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