2016年から17年に向けて色々と思いを巡らせて。

おはようございます。東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・都議会自民党最年少)です。

 

あっという間に2016年も最後の日を迎えました。今年は申年であり、私も年男として飛躍の一年にするぞと心に決めたお正月でした。しかしながら、舛添都知事が一連の週刊誌報道がきっかけとなり辞任に至り、舛添知事最後となった本会議では私が自民党を代表して討論を行う巡り合わせの縁でした。

 

参院選に続いて行われました東京都知事選挙では小池百合子新知事が誕生。世間の見つめる都政に対しての厳しい眼差しを8月1日から感じ続けながら大晦日を迎えたものです。

 

ご承知の通り、都議会自民党の所属する3名の議員が自民党会派を離脱する意向を示され、仕事納め以後も議員が全員集合して意見交換を行うなど、私も都議会議員になって3回目の年末ですが、特別委員会も数多く開かれ公務が重なって忘年会を欠席した数も極めて多い年でした。このブログを通じて、多くの皆様方からヒントを頂き都政の進むべき道を探ってきたわけですが、中でも五輪会場見直し問題では、東京都の特別顧問とテレビの場で議論するなどの経験もありました。全てにおいて、苦しい逆風を全身で受け止めての都政活動でしたが、一方で大変充実した日々であったとも言えます。

 

私自身は、最初に選挙に出た墨田区長選挙で自民党の推薦を得る為に大変に大きな苦労をしましたが、最終的に得られなかった経験があります。それだけに自民党の看板を背負う使命の重さを痛感している1人です。石にかじりついてでも、自民党という気持ちで一杯です。そして、区長選挙は徒手空拳の無所属でしたが、その後、様々な雑務を通じて、自民党墨田総支部、自民党東京都連青年部ではポストを頂き全力で職務に邁進してきた事に自負があります。故に、会派離脱の意向を3名に続くのかと今週聞かれまくっていますが、現状においては考えられないのは言うまでもありません。

 

あまり知られていない話ですが、良い機会ですのでエピソードを披露しておきます。今夏の都知事選では、誰が最初に言い出したのか分かりませんが「樺山卓司」先生の名前を見る機会が多くありました。2011年に亡くなられたわけですが、その訃報について私も妻も朝早くに第一報を聞いた時に大きな衝撃で言葉も出なかったのを良く覚えています。樺山先生は日本大学応援団の流れを汲まれている方で、私は保健体育審議会ラグビー部という事で運動部の先輩後輩として大変可愛がって頂き、法学部校友会では共に役員として月1度の会合では四方山話を繰り広げて参りました。

 

また、私の学部の卒業論文は「郵政公社化に見る政策決定過程論」なのですが、フィールドワークの中で「郵政族」議員の下を尋ねては様々な取材をしてきたのですが、中でも一番に政策を語って頂いた代議士が川崎二郎代議士で、樺山先生の友人の一人だったと後で分かった時には互いにビックリした経験もあります。そして、樺山先生が亡くなる少し前には「世界青年友の会」関係の会合で一杯お酒を飲んだのですが、この会の設立者が川崎代議士の先代である川崎秀二先生でした。

 

その樺山先生は私が墨田区長選挙を模索していると読売新聞がスクープで書いた早朝に直ぐに電話を頂き、とにかく自民党の推薦が無いと現職相手の区長選挙は絶対に勝てないとお支え頂いたのです。それこそ、今、「都議会のドン」とメディアが評する内田先生に川松の推薦を協力にお願いに行って下さった方こそが樺山先生です。それまで自民党都連とは深い縁では無かったのですが樺山先生が東奔西走して下さったおかげで、今に繋がるご縁を作って下さったと言っても過言ではないと私は実感しています。

 

そんな樺山先生の会には毎年出席していたのも懐かしいのですが、この会合にいつも顔を出されていて、都議会に当選後初めて声をかけて下さったのが前述の3名の1人である山内晃先生だというのは不思議なご縁であります。

 

話を戻しますが、その墨田区長選挙で東京都連は「推薦者無し」という判断となり、政党支援無しで素人集団が玄人集団相手に戦い、とてつもないダメージを受けた事から「政党」の重みを知っているのです。思い起こせば、私の出馬会見では、事前に樺山先生からレクチャーを受けていた通り、3・11の震災対応で命をかけたハイパーレスキュー隊に対する石原都知事の魂を感じろとご指導頂いて、その魂を記者会見で喋ったものでした。それでも、政党支援は頂けなかったのです。

 

結局、東京都連青年部執行役員に入れて頂いたり、自民党政経塾に入るなどしてリスタートを切れた事で、政治浪人中に様々な政策や政治家のあり方を自民党に教えて頂けた事が私の財産であり、今、政策を展開する中での揺るがない骨格となっています。その私に与えられた命題は「都議会自民党を離れる事無く、健全に組織内で正論を述べて組織変革を起こしていく」事であろうと強く考えています。

 

2016年は想像も出来ない閉幕を迎える事になりましたが、来年は東京都議会議員選挙です。2期目の挑戦ほど難しいものは無いと言われています。しかも、私は固定票の少ない議員でありますから、逆風下においては更なる厳しい戦いになる事は容易に想像出来ます。

 

とにかく、来年は政策を、夢を、希望を、正論を希望にダイナミックに語り政治家としての原点に立ち、都議会自民党は政策集団であるという原則を踏まえ常に都政の進む正しい道を探究して参ります。

 

本日ここに1年間のご厚情に感謝を申し上げ最後のブログと致します。来るべき年は、今年以上に墨田区・東京・日本の発展の為に全力で取り組みます。明日以降、様々な政策について記していきます。五輪、市場以上に重要課題が山積している東京都政ですから。

 

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