長老と先人の違い。

こんにちは。

自民党総裁選、民主党代表選ともに大詰めを迎えようとしています。

先ほど、野田佳彦総理の代表再任が決定しました。

一方、自民党の総裁選報道を見ていますと、「派閥」というキーワードで展開が予想される事が多くなっています。あるいは「長老」というキーワードも見受けられます。

派閥政治が良いか悪いか、ほとんどの方が分からないままに、ある時代のブームに乗って「派閥=悪」「長老=悪」という構図がイメージ作られたのではないでしょうか。

先般、大手メディアで報道の最前線にいる方々と立て続けにお話する機会がありました。

「テレビであなたは長老に批判的なコメントをしていたが、何がいけないのか?」

何人にも私は聞きました。報じている方達の根拠を知りたかったからです。

残念ながら、この日にまとまな回答は得られませんでした。

今から3年前に多くの人達の期待を背負って、脱自民党の政権交代が達成されました。

民主党政権は、脱官僚を標榜し事務次官会議も廃止しました。

その他、様々な慣習を見直す為に意気込んだわけですが、現在、どれだけの方が民主党に信を寄せているのでしょうか。あまりにも「先人」の経験、声を軽視した結果であるように思えます。

長老という語感には「悪」的なイメージが確かに潜みます。

しかし、「大先輩」、「先人」「年長者」という語感ではどうでしょうか。

老舗という言葉があります。

永六輔さんが何かの小冊子に「老舗とは仕似せ。仕事を似せるということだ。」と書いてあるのを発見して以来、私は常に「仕似せ」という意識を強く持っています。勿論、コピーではいけませんから、そこにオリジナリティを加えていくわけですが、しいて言えば「老舗」の料理屋さんにある「タレ」などは正に継ぎ足しで、伝統が保たれてきました。もし、「老舗」の看板を新たなものにするという事は、創業当初から続いてきた「タレ」をも捨てて自分の味で勝負するという全く別物の歴史伝統を作るという事になるのではないでしょうか。

先代の仕事を守って次に繋げるのがある意味において私達の国の伝統だと思います。

伝統を受け継ぐと言っても、「昨日よりは今日。今日よりは明日。」と日々進化させながら代々繋げてきたからこそ日本の今の繁栄があると考えているわけです。勿論、長く続く歴史の中で、「大化の改新」「建武の中興」「明治維新」と価値観をガラっと変える出来事はあったとしても、日本は今に続いています。

何を言いたいのかというと、「先人」なくして伝統なし。「先人」なくして老舗なしですから、「長老」という表現を「先人」に置き換えて今のニュースを見たら景色が変わるのではないかと思うわけです。「大阪維新の会」「日本維新の会」はそういう意味においてスッきりしている感もあります。既存のものではない「統治機構の変革」を標榜しているのですから当然です。

年長者を敬い、未来を見つめる。手法は人それぞれ。

自分が納得できる人とブレずともに、愛する日本を考えて進化していく所存です。

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