都議会オリンピック・パラリンピック特別委員会が騒然となったワケ。

おはようございます。東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・都議会自民党最年少)です。

 

さて、金曜日の東京都議会オリンピック・パラリンピック特別委員会では、五輪会場見直し問題で幾つかの重要ポイントが明らかになりました。そもそも、この会場見直し案は都政改革本部の五輪調査チームが提言したものでありますが、現状は東京都案となっている事からオリンピック・パラリンピック準備局及び都政改革本部の事務局である総務局に質疑を行ったものです。

 

1、「海の森水上競技場」から「長沼」へとボート会場が変わるとした場合、海の森の建設をストップする事となるが、この場合建設中止にかかるコストはいくらくらいになるのか?

都は既に揚陸施設整備費、設計費は既にほぼ確定している金額として、これに加えて、これまで業者側が既に発注した資材等の費用等、工事中止そのものにかかる費用は現時点での想定で100億円という数字を議会で発しました。

 

今、私自身が多くの方からこの100億円という数字が正しいのか嘘なのか検証すべきだという声を沢山頂いております。この金額の精査は必ずやっていくとする事をお約束します。が、もし仮にでも長沼案をIOCが承認した場合は、長沼の整備費用にこのようば莫大な建設中止費用が乗っかっるのだから慎重に審議すべきというご意見と言いがかりだという両方のご意見を頂いております。。

 

2、「海の森水上競技場」の建設を一時中断という日経新聞が報じた事について真偽を問われて。

これは11月16日の時点で小池知事から中断命令が出たと答弁がありました。当日朝刊のスクープを確認するという展開となりました。私自身が疑問に思うのは、バッハ会長の下に渡った英文資料にも「杭打ち工事」を一つのポイントとして挙げていました。それが突然、この「杭打ち工事」にストップをかけるという意味がよく分かりませんでした。

 

この辺りに、小池知事、五輪調査チーム、オリパラ局、総務局の一体性に疑義が生じるものであります。色々な背景・経緯はあるものの小池知事就任以来、最重要案件の一つとなっている五輪会場問題で担当者の皆さん方がそれぞれを信頼しきれていないのは最終的に都民、あるいは東京都に不幸な結果を招きかねません。

 

それ故に、私は何度も五輪についてはどんな問題もチームTOKYOが一つになるべきだという信念は変えていません。情報が奇麗に流れて行かないと美しい形になりませんよね。

 

3、有明アリーナを横浜アリーナへとする変更案について

この件についての総務局答弁が場を騒然とさせました。

 

問:横浜アリーナの活用案の提案に当り、事前の調査が行われたとは思うが、オリ・パラ調査チームの特別顧問等は、いつから横浜市、横浜アリーナの担当者へのインタビューを始めたのか伺います。

 

答:10月6日に株式会社横浜アリーナから都政改革本部の事務局に電話があり、9月29日の調査報告書について問い合わせがありました。このことについて、調査チームに伝えたところ、調査チームから横浜アリーナに連絡を取って調査を開始し、その上で横浜市と連絡を取ったとのことであります。

 

あくまで都政改革本部事務局の話を素直に噛み砕けば、調査報告書に載せる前には横浜アリーナへ調査せずとの解釈です。しかも、先方から東京都に連絡があって、特別調査員が現地で聞き取りをしてきたという事にえっ?という思いが生じるのは言うまでもありません。

 

また、横浜アリーナ開催ならば当初「7億円」が経費という一部で認識が広がりました。当然7億円で開催出来るならば私も賛成です。ただ、特別委員会では「7億円」はあくまで横浜アリーナの使用料と増席コストであり、この他にアリーナ周辺設備、仮にサブコートを近隣で設ける場合の費用、道路整備、周辺道路を止める為に発生する警備等のコスト、あるいは放送センターを近隣(ホテル?)設置費用など、まだまだお金がかかってしまう事が判明しました。横浜市もコスト負担が自前なのかどうなのかがはっきりしない中では軽々に数字が出せないのは当然で総額は分かりませんがかなりの金額になると思います。

 

あくまで会場決定は4者協議の場となります。IOCもIFもそれぞれの思いがあります。最終的には今月末に結論が見えてくるはずです。

 

どんな結論が待っているのかは分かりませんが、個人的には2016年招致、2020年招致、そして招致成功後の会場見直し論議を経ての現在です。これまでの過程では本当に多くの時間を費やして調査や議論を重ねてきたと認識しています。もし仮に、横浜アリーナ側から電話があったような経緯だとしても横浜開催がベストチョイスならばそれも選択肢なのかなと思っています。

 

かつて、横浜アリーナでは96年のK1STAR WARSでのアンディ・フグVS佐竹雅昭の一戦を覚えていますし、プライド2でホイス・グレイシーVSマーク・ケアーの一戦が急遽ホイスの欠場でブランコ・シカティックが代役となりK1とUFC王者の対戦として熱が最高潮になったもののまさかのシカティックの反則負けという何とも言えない気分で新横浜から帰った記憶が蘇ります。98年には荒川区でSRSジムを開設し一緒に活動させて頂いた坂本博之さんを含むトリプル世界戦も行った地です。

 

いずれにしても実際に2008年には世界バレーも行っていますから一定の優位性はあるのかもしれませんが、現場のバレーボール団体とIOCの現地調査も近々に行われて4者協議の作業部会へと突入するでしょうから、今は推移を見守るばかりです。

 

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