ウクライナ情勢。クリミア戦争から日本大学が見えた。

おはようございます。

ウクライナ情勢が連日動いていて日本のメディアの取り上げ方も日に日に大きくなっています。

もっとも、関心の高い方々は緊張感を持って接して来られた事と思います。

特に安倍政権においてロシアとの交流は深いわけです。

今日はこのウクライナ情勢についてです。

そもそもこの地域はクリミア戦争で、ロシアと英仏がぶつかった地であります。

これは日本で言うと、ペリーが日本に来た頃で、金子堅太郎という後の司法大臣が生まれた年であります。金子堅太郎に「WHO?」という方にはお伝えしておきますが、伊藤博文らと大日本帝国憲法草案を創り、皇室典範の整備をした人物で、日本大学(当時の日本法律学校)の初代校長であります。福岡の藩校・修猷館出身の偉人です。日本大学が2019年に開校130周年を迎えるわけですが、130年前の校長先生が生まれた年の1853年に起きたのがクリミア戦争です。と考えると、そんなに昔の事ではないなという感覚になります。

これが英仏になると、欧州の歴史、あるいはロシアの歴史に絡めて様々な事情が交錯しているのでしょう。オバマ大統領は、イスラエルのネタニエフ氏との会談後に記者団へ「ロシアへの制裁検討」という言葉を口にしたようです。そもそも、オバマ大統領がイスラエル初訪問したのが1年前で、今回はホワイトハウスでの会談。基本はイスラエルとパレスチナ独立国家が共存する和平交渉です。交渉仲介として米国の期限が来月末に迫っています。

さて、話を元に戻しますが、クリミア戦争で活躍したのがナイチンゲールであります。その一方で、日本大学学祖は山田顕義ですが、この師匠である吉田松陰もクリミア戦争に間接的に関係しているという見方もあるのです。つまりは、吉田松陰はこの1853年という年に、海外留学を試みて、プチャーチンのロシア艦で海外密航を企てましたが、クリミア戦争によってプチャーチンが早く引き揚げた為に、計画が流れました。もし、あの時、予定通りに海外に松蔭が渡っていたら、明治維新の様相は変わっていたのかもしれません。

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