この度の統一地方選挙に何故出ないのか?

おはようございます。

さて、そろそろと私の思いを綴らなくてはならないかもしれません。
私がテレビ朝日のアナウンサーを辞して、政治を志したのは今からちょうど4年前の事であります。東日本大震災の直後で、都内は計画停電が行われたりする中で、当初は4選出馬をせず引退を表明していた石原慎太郎氏が前言を翻し、多くの人々の期待に応える形で知事選出馬を決める都知事選が行われておりました。

私自身は、硬直化しかけている墨田区政に変化と新しい風を送り込む思いを抱き、自民党系の候補者として区長選挙に出馬したものの、現職の壁は厚く次点に終わりました。その後、思いを一つにする仲間達と「明日の墨田区」を語り、時局講演会や政策ビラで思いを訴える浪人生活を繰り返して参りましたが、自由民主党公認候補として急遽、都議会議員選挙に出馬する事となり2013年の6月に都議会議員に当選を果たしました。以後、1年目から59名いる都議会自民党の副幹事長を拝命し、議会運営委員、文教委員会理事とお役目を頂き、また党務においても東京都連青年部副部長はじめ様々な機会を頂き邁進してきたわけであります。

当然として、今般行われます墨田区長選挙への出馬要請は自民党墨田総支部執行部や、区内各所から頂いわたわけであります。大変に熟考に熟考を重ねたわけでありますが、「墨田区の持続可能な発展」に向けては首長という選択肢の他に、議員として政策提言していく事も重要であるという考えに基づき、私自身は多くの支援者の皆様のご期待にそえない形となりましたが「東京都議会議員」として墨田区を大きく変えていくお役目を果たしていきたいと思いを固めたわけであります。

これには、東京都特別区という制度を研究に研究を重ねた上で現状においては私にとって、あるいは墨田区にとって最良の選択であったろうと確信をしております。特に、近隣の区長さん方からもお声がけを頂いていたわけですが大きく重い決断をさせて頂いたわけであります。

同時進行で、区議会議員である山本亨区議が区長として「墨田区の夢」を実現させていきたいんだという思いを各所で語り、現職の山崎区長とも何度も「墨田区」を共に語り合ってくる中で年末年始にお二方が出馬と勇退を決断されて、自由民主党としては公明党と共に山本区議を区長候補として推薦させて頂く運びとなりました。

特別区は、他の市町村とは異なる“特別”区なのです。基礎的自治体としては不完全な存在で、権限がある部分ない部分がはっきりせず東京都とは切っても切れない関係であり、23区の関係も他の市との関係は大きな違いがあります。私は権限委譲、真の地方分権を勝ち取る為にという強い信念の基に4年前の区長選挙を戦ったわけでありますすが、現在は東京都からどれだけ区に権限を渡せるのかという哲学をもって地方行政研究を重ねているわけです。

墨田区の為に汗をかきたいという思いについては全く変わる事無く、むしろ今は墨田区に対してのベクトルが違ったという事に過ぎません。4年前以降、地方行政に携わった方々での勉強会を定期的に行い、意見交換をしてきたメンバーの中には先の統一地方選で各級議員に当選した方もおります。昨年の4月には、地方議員でジョージタウン大学へ学びにも行き大きな議論を展開して参りました。

したがって、私自身が今回の区長選挙に出馬しないというのは決して逃げているのではなく、現実的に墨田区の為に様々な政策提言をしているさなかで、これを投げ出すわけにはいかない事。そして、オリンピック開催が決まった今や、東京都が世界で一番になる為にスピード感が異次元の中で都市構築がなされて行く中で、むしろ今は大きなチャレンジをしている所であり、ある意味においては自分として大きな使命・重責を担っていると日々感じています。

座談会などでは私が区長選挙不出馬については必ず質問されますのでご説明をさせて頂いておりますが、多くの方からメッセージも頂いている事ですし、どこかで一度ご報告する説明責任があると考えておりましたので甚だ簡単ではありますがご報告させて頂きます。

いずれにしても、後藤新平が残した自治三訣「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」これが肝心です。

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