3・11以来の帰宅困難者。

こんばんわ。

今週、日本列島を襲った台風ですが、今日は朝から台風関連のニュースでメディア一色でした。

朝の情報番組を見ていると、3月11日に起きた地震による交通機関の乱れにより、多くの帰宅困難者が生まれた生まれたのを教訓に、目黒区が一時避難所を開設したというリポートがありました。

私は昨日は中入り後から国技館で相撲観戦をしていましたが、幕内の取組中に場内アナウンスが流れJR総武線が止まっているという情報が入りました。その時にたまたま横にいらしたテレビ朝日の先輩で東京相撲記者クラブ会友の山崎正さんが「どうやって帰るべきか」と言うので大江戸線を使った経路を考えたりしたのです。

打ち上げ後は、第一ホテル両国で栃ノ若関と栃乃洋関と名古屋から観戦にいらっしゃった皆様との会合がありましたので、歩いて会場へと向かったのですが、JRがストップという状況でもあり、普段の相撲開催時よりは多くの方が大江戸線両国駅に向かっておりました。その流れを見ていて、ふと国技館にほぼ隣接という立地の両国中学校が一時避難所として解放されていれば良かったのにと思い立った次第です。

やはり年3場所45日しかない国技館での本場所。全国からお客さんがいらっしゃいます。近隣の宿泊施設にお泊まりの方もいれば、遠い方もいらっしゃっるでしょう。事実場内はザワっとなりました。それで結びの一番が終わり、外に出て人混みの多さを再認識したわけです。正に困っていらっしゃる全国からのお客様の為に、我が母校でもある両国中学校が解放されていたら。どれほど「墨田区」のPRになったのでないあだろうかと思った次第です。

墨田区長選挙の際にも言い続けましたが、何よりも「墨田区」の名称と所在が一人でも多くの方に知られなければソフト面を長い目で見て墨田区ファンが増え未来永劫の繁栄に繋がるだろうと主張した事は今でも信念として思っています。「両国国技館は知っているけど墨田区は知らない」という方がかなり多くいらっしゃいます。日・月で福岡に行きましたが、現地でも同様でした。これは更に言及すれば「両国国技館に行った事はあるけど、墨田区には行った事が無い。」と言っているようなもので墨田区を愛する一区民として大変寂しい思いに包まれるのです。

例えば、昨日、JR総武線がストップした段階で国技館周辺で救いの手となるような諸策を施せば墨田区ファンが一人でも多く増えたのではと頭の中で考えていたのです。そんな折、NHKのニュースサイトに墨田区の昨日の対応について「駅に職員を派遣して情報を収集したうえで、避難所の開設は見送った」という記されています。何もしなかった行政に比べれば墨田区はNHKでも紹介される程、きっちりと策を講じたようですが、もう一歩進んで相撲ファンまで考えてくれたならと、そのニュースに接した際に感じたわけです。

いずれにしましても、首都圏は交通機関がストップすると、大きな混乱を招きます。危機を想定し、早めで早めで判断し動ける首長がいる行政は人々の安全・安心・安定を私達にもたらすはずです。しかし困った時はお互い様ですから、行政と市民の連携も重要になってきますね。みんなで築く街作り。これを機にあらためて、一緒にこの下町の防災対策、危機管理を一緒に考えませんか。どこにでも伺います。車座集会で、多くの方と語り合わせて下さい。

9月22日

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