覚悟を持って、信念を曲げず。世の為、人の為に。

こんばんわ。

今朝予告の通り、昨日、柳嶋妙見山法性寺でご挨拶させて頂いた内容の一部を記しておきます。専門研究に仏教と書いていながら、中々書くチャンスがありませんでしたので、今日から所々で書いて参ります。

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こちらは日蓮宗の寺院ですが、実は世間では他宗派の方が事実誤認し、自分は日蓮宗徒だと思っているケースは少なくありません。なぜ、そうなるのか?それは、他宗派でも日蓮大聖人、法華経が中心となり南無妙法蓮華経の7文字を使用するからです。

一般的に日蓮宗と言うと山梨県身延山久遠寺を総本山とし、池上本門寺だったり中山法華経寺や北山本門寺を大本山とし、そこに連なっていく系譜の寺院が日蓮宗寺院です。これ以外は、他宗派になり、法華宗本門流、法華宗陣門流、顕本法華宗と色々な宗派が存在します。その違いは何かを少し考えます。色々分かれていますが、当然突き詰めれば日蓮大聖人に遡るわけです。

日蓮大聖人の死後は6名の高僧が集団指導体制を敷くのですが、それが代を重ねる毎に法華経の解釈を巡って、枝分かれしていきます。その法華経は28品、言わば28章で構成されており種々様々な教典の中でも、お釈迦様のお伝えしたかった事が凝縮されていると言われております。キリスト教の聖書、イスラム教のコーラン、孔子の論語とそれを学んだ人の行動規範となる教えが詰まったものと同様に、法華経は時として人の生き方の判断材料になるときがあるわけですが、28品で構成されていますから読み方も色々です。28が全部大切だと考える一致派という方々、いや全部ではないとする勝劣派があり、その中には八品だけが大切だという八品派という方々もいます。そのような解釈の違いによって、諸宗派が成立してきた変遷を持ちますが、日蓮大聖人、法華経が中心である事は変わりなく750年の間に成熟されてきたわけです。

今の世の中をここで考えてみます。菅総理が仕切りに「脱原発依存」を口にするようになっています。メディアでは、脱原発解散かと指摘するケースもあります。が、福島原発の状況に触れますと誰もが、放射能汚染は不安であり、脱原発依存という傾向は当然の傾向と言ってもよいでしょう。今、大事なのは「じゃあ、どうやって脱原発依存とするのか。」ではないでしょうか。日蓮大聖人の教えは大事だ。法華経は大事だという大前提の上で、様々な解釈が存在し宗派も存在しているという様子は非常に似ているような気がするんですよね。

ですから、今は、じゃあエネルギーをどうするのかという問いに、火力がある水力がある風力があるのは当たり前として、最近では地熱だ、波力だ、潮力だとも言われれています。拙速に考えず、じっくりと考えれば、今は全く想像も出来ない手法が出てくるかもしれません。そういう可能性も探らなければいけないと思うんです。日蓮大聖人も750年前には、法華経の解釈を巡ってこんなに宗派があるとは想像していなかったかもしれません。例えば、浄土真宗。親鸞聖人がいらした時は、あくまで法然の弟子であり、宗派として確立されるのは8代目の蓮如の時。これまでは天台宗の末寺だったわけです。つまりは、日蓮大聖人、親鸞聖人も生きていた時には考えてた以上に自身を根元とする考えが発展しているのです。ですので、今、脱原発依存と言われていますが、10年後20年後30年後には、全く予想出来ていないようなエネルギー供給方法が確立されていると信じたいのです。

話はそれましたが、松本前復興大臣。サッカーやって宮城で怒って、お辞めになった方ですが、辞任に当たり「粗にして野だが卑ではない」と口にされました。このフレーズはかつて、ある方が国会の答弁で使われたものです。その方は、石田禮助さんという方が国鉄総裁に就く際に使われました。この人は、78歳で要職を引き受けました。35年三井物産で活躍し、その後、様々な職責を担い、国鉄沿総裁を引き受けられました。石田さんは以前から、自分をマンキー(猿)だと言っていたそうで、粗っぽくて野暮だけど、決して卑しくない仕事をするという事で、国鉄総裁就任に当たり「粗にして野だが卑ではない」と口にされたんですね。明治人特有の武骨さが滲み出ています。日本人、大和魂はかくあるべしと思うんですね。

日蓮大聖人が、752年前に時の権力者である前執権の北条時頼に「立正安国論」を奏進されました。このままでは、日本は大変な事になってしまうという強い思いがあったからこその覚悟の行動です。しかし、現状で不便の無い権力者の怒りを買ってしまったわけです。けれども、あきらめず自分の考えを貫いた事が、今日の日蓮宗の繁栄に繋がっていいるのは言うまでもありません。鎌倉の街角で、糞尿を投げつけられても、幾度の難に遭っても信念を曲げませんでした。

辻説法を初めて行ったと言われますが、私自身の選挙も現職の方、議員生活30年の方々相手の選挙となり、色々と指摘されましたが、日蓮大聖人のような先人の姿を頭に描き頑張ってきましたと、鈴木住職に話した事が本日の挨拶の機会を作って下さったわけです。

これから、私は故郷を思い、祖国を憂い政治活動、仏教研究を続けて参ります。本日は大法要の前のお時間を頂き有難うございました。これから、共に頑張って参りましょう。

2 件のコメント

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    私は日蓮宗総本山のある山梨県人。
    我が家の菩提寺は日蓮宗。
    母方実家も日蓮宗。
    なのにあまり深く日蓮宗について考えを巡らすことがありませんでした。
    かなりバチ当たりですね。
    いつか深くご教授をお願い致しますm(__)m。

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    >ココアさん
    今はお寺さんに対する意識が全般的に薄くなっているようです。道徳的な事をお坊さんから学んだという方は少なからずいるわけですが。
    機会がありましたら、身延にご一緒したいですね。私も近日中に行く予定です。身延山近くの七面山に登りますと日蓮の気持ちに近づけるかも知れません。

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