伝統を重んじる21世紀型の政治家目指して。

こんにちは。

週末の東京MXテレビ都議会中継ダイジェストを見たら、中野区選出の吉田康一郎都議(民主党)が委員会で質問をしている場面、予算特別委員会・総括質疑の様子でした。吉田都議はゼロメートル地帯の防災対策について質問をしていました。特に隅田川下を通る都営地下鉄、メトロの緊急時の対策などは吉田都議のこだわりが見られる内容。

また、ゼロメートル地帯でのカサ上げについて、都市整備局長からは、既に江戸川区など開発事業が行われている地域から策を講じているという答弁がありました。吉田都議がスーパー堤防の必要性を熱く論じたわけですが、この民主党所属議員の発言にヤジが飛んでいたように見えました。中継上の為、プラスの声かマイナスの声かは分かりませんが、事業仕分けって何だったのかと思った次第です。

さて、ここで「地域学」の論考に入ります。この震災を機にメディアがテーマに掲げる機会が増えたゼロメートル地帯に育ちました。隅田川と荒川の間に流れる中小河川とどのように接し、過ごしていくかを小学生の頃から自然と植え付けられてきたのです。正直なところ、遠方に住む親戚、知人から「大丈夫か」とよく言われたものです。台風がくれば、頭の片隅で増水しないかなと心配・警戒を子供心にしていたのを覚えています。

同時に、関東大震災の惨禍も生き証人達から伝えられ、地震の時の「火の元」や混乱時のデマにも要注意など何度も聞いては「備えあれば憂いなし」の精神で常に意識しておりました。

話は飛びますが、被災地の話を聞いてみると、沿岸部に近い人ほど常日頃から津波の脅威を頭に入れており、地震発生時に津波の恐れがあるという危機意識が高かったようです。

その土地に受け継がれる伝統とはこういう部分で表れてくるのではないでしょうか。今でこそ、首都直下地震の恐れがあるという事でドコソコが危ないと都内各所を示してメディアが伝える事がありますが、はっきり言って、各地域情報を新聞やテレビが隅から隅まで伝えられるはずがありません。

だからこそ、地域コミュニティに基づく「地域教育」が大切になってくるのです。

地震が起きたからと言って、前から言えたレベルの「防災対策」を口にする「自称・地域の代表者」を自認する政治家が発言している事に危惧を覚えます。それでは、よく言われるテレポリティックス(テレビによる政治)そのものであると言わざるを得ません。上記にもある通り、メディアが取り上げる以前に、東京南部がゼロメートル地帯であることは、この地域が出来た時からの課題なわけです。

とある保守系の超大物政治家と個別会談させて頂いた際に保守政治家の劣化についてお話を拝聴させて頂きました。選挙がどうしてもメディアありきになってきた点があり、本当に地域の土を愛し、地域の道統を尊ばなくても政党の公認さえあれば、系列の県議や市議が応援体制に入ってくれる事で、真剣に根を張らなくても花を咲かす事が出来てしまっている。このままでは、各地域の真の代表者が永田町に集まれなくなってしまう。といった趣旨のお話を聞いてハッとしました。

正直なところ、テレビにしても新聞にも伝えられる情報には限度があります。テレビには放送時間、新聞には紙面が無限ではありません。しかし、行政や議会は、たとえメディアが取り上げなくてもコツコツと丁寧に対応していかなければ、時として住民の安全安心を守れません。地方議会レベル、国会レベルと案件により対策は変わるでしょうが、そもそもの問題点を吸収する根を張っていなければなりません。政治家の役割は、現状認識もさることながら、先取りして将来的課題を摘み取る事も必須であると認識しています。

また、メディア環境、世界の環境、時間速度の変化がそこにあるので、20世紀型のスタイルでは太刀打ちできません。貿易立国として成長を遂げてきた日本も今や貿易赤字です。今後はどのようにして世界における日本のあり方を追求していくのか、時間をかけずに答えを見出さなくてはいけません。過去のスタイルで未来を切り拓こうとしても上手くいかない世の中に入ってきているのは言わずもがなです。

私自身は、伝統を受け継ぎ後世に伝え、未来の課題にいち早く着手し、信念を貫く21世紀型の政治家として、命がけで取り組むべく精進中です。

「春風や 闘志いだきて 丘に立つ 虚子」

2012年3月20日

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